アンジェラ・ダックワースの「GRIT」のなかで、ジャーナリストのタナハシ・コーツの言葉が引用されている。
私のすべての作品において、失敗はおそらくもっとも重要な要素です。書くことは、失敗することだからです──何度も何度も、嫌というほど
書くことが大変なのは、紙の上にさらされたおのれの惨めさ、情けなさを直視しなければならないからだ そして寝床にもぐる
翌朝、目が覚めるとあの惨めな情けない原稿を手直しする
惨めで情けない状態から少しはマシになるまで そしてまた寝床にもぐる
翌日ももう少し手直しする 悪くないと思えるまで そしてまた寝床にもぐる
さらにもういちど手直しする それでどうにか人並みになる
そこでもういちどやってみる 運がよければうまくなれるかもしれない
それをやり遂げたら成功したってことなんだ
これが、マッカーサー賞や全米図書賞を受賞した作家の言葉というのが恐れ入る。
この8年前、タナハシ・コーツは無職で、そのあと「タイム」の仕事をしていたが解雇されフリーランスになり、苦しい日々が続き、体重は13キロも増えた。
「自分がどんな作家になりたいか、僕にはちゃんとわかっていました。なのに、どう考えてもそういう作家になれそうになかった。どんなにあがいてもスランプで何もでてこなかったんです」しかし、そんなストレスに苦しみながらも本を書き上げた。
何かを書くということは、自分の書いたものの惨めさと向き合うことであり、それが書くことの苦しみである。心の底から共感するし、ぼくが毎日実感していることだ。
書くことだけでなく、何かを続けるということは失敗し続け、その失敗と付き合っていくということ。失敗し続け、その惨めさに耐えられれば、いつかは「人並みになり、うまくなれるかもしれない」
大事なのは、才能ではなく続けられるかどうかである。
成功した人たち(やり抜いた人たち)は、やり抜く力があった。という同義語反復の面もなくはないし、それをどうやったら伸ばせるかという面に関しては弱い。しかし成功した人たちは、知力や体力に恵まれていた人ではなかったという実証には説得力がある。才能ではなく継続が大事。というぼくのテーマとも通じている。