捨てたから、忘れない
佐々木典士

クロアチアの旅の最終日。 ザグレブでチェックアウトをするまでに少し時間があった。

 

6年前に泊まったホテルを訪ねたという 沼畑さんの話に触発され、ぼくも6年前に立ち寄った 小物屋を探してみることにした。 普通のお土産屋で買うのではない、特別なものが欲しかった。

 

6年前にはじめてザグレブを訪れたときに、ふらっと訪れたお店。 観光客が通る道からは少し外れていて、 地元のアーティストたちが制作したであろう作品が並んでいた。

 

今よりさらに拙い英語で、なんとか買い求めたのが写真の十字架だ。 深い緋色の十字のまわりを、ひとつずつ丁寧に模様付けされた 陶器。色味も、なめらかな手触りも、心地良い重みもすべてが好みだった。 何より異国の路地で「出会った」という感覚が、それをいっそうかけがえのないものにしてくれた。

 

ものを捨てるコツの1つに、実際にさわって「心がときめく」かどうか、というものがある。大ヒットを飛ばした本があるから、知っている方も多いだろう。 だがミニマルを目指すためには、「心がときめく」ものすら捨てなければいけない時がくる。

 

写真の十字架は5年間は大切に飾っていたがこの春に捨てた。 捨てたときも、心がときめく品物だった。 だが全く後悔はしていない。本当に捨ててよかった。

 

小物屋を本当になんとなくの見当だけで、歩いて探してみた。 思い出の中で美化されすぎていたようだが、確かにまだそのお店はあった。

 

時間もなかったので、軽く躊躇したあとでお店に入ってみる。 少し驚いた。店の壁にかかっているのは、 あの十字架と同じ工法、同じ色で作られたミニチュアサイズのペンダントだった。 名前は知りようもないが、あの十字架を作ったアーティストは健在らしい。嬉しくなる。

 

捨てたからこそ刻まれるものがある。 捨てたからこそ大事に忘れないものがある。 持っていたときよりも、そのものについてまわる「経験」について大切に思える。 最近気づいたことだ。

 

この春に、今までもらった手紙もスキャニングし、実物はすべて捨てた。 母からもらった「乗り換え案内」が忘れられない。 実家の香川県を離れ大学に通うため、東京で一人暮らしを始めたぼく。 これから暮らし始める街に、初めて降り立つため、 母が羽田空港から街までの「乗り換え案内」を手書きで書いてくれたのだ。

 

モノレールに乗って、山の手線に乗って、西武新宿線に乗って……。 方向音痴で、携帯も持っていなかったぼくのために書いてくれた乗り換え案内。 母はどういう思いでぼくを東京に送りだしてくれたのだろう?

 

その乗り換え案内も、持っているときはその存在を忘れていた。 手紙の山に埋もれていて、見返さなかったからだ。 手放す段になって、はじめて大切に思えた。

 

十字架も、乗り換え案内も今はもう手元にはない。 手元にないからこそ、ぼくはずっと忘れないだろう。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。