灯台の見える崖の上にポツンと佇む小さい家。
世間と隔離されたその家で、薪を割り、火をおこし、世捨て人のように生きる。
時折遠くを見つめる目がかっこよくて、あごひげは伸ばし放題。
できれば、カスタムされたバイクとピックアップトラックが横付けされているといい。
そんな暮らしに憧れて、若い頃に最適な場所を求めて移動を繰り返したが、海辺の崖の上で珈琲を飲み、詩を書く毎日。という人生はそのときに達成され、今はそこからほど遠い暮らしをしている。
だから、時折、そんな暮らしに憧れる。
今は年を重ねた分、もっと渋く崖の上に佇める。
では、どこが最適な場所だろう?
たとえば、映画『バベットの晩餐会』に出てくる寒村は、デンマークのユトランドにあるプロテスタントの村がモデル。
質素倹約を旨に、小さな漁村で生きる村民がいて、ある日、パリの有名シェフが身分を隠して逃げ込んでくるというストーリー。
ヨーロッパの田舎で、プロテスタント系の村はまさにミニマリズムの基礎ともいえる暮らしだ。
だからゲルマン系のノルウェー、スウェーデン、デンマークといった少し寂しげな海沿いの村は隔絶感があっていい。
ひろげると、カナダ、アラスカだっていい。
遠い町。とおくて、ここから行きづらい。
でも、よく考えてみると、この日本がそもそも、ヨーロッパやアメリカの人々からしたら、東の果ての果てにある、遠く、中心から遠く離れた、中心世界から隔離された場所だ。
この日本に降り立ったとき、「私は自分の住んでいる世界から一番遠くの国に来た」と感じるかもしれない。
東京がどんなに都会になっても、辺境にある大きな都会であることは変わりないのだ。
感覚としては、自分がたとえばトルコとか、インドの先とか、アフリカのどこかとか、南アメリカ大陸のどこかのほうが辺境感がある。
日本のどの田舎にいっても、辺境とまで思えない。どこか優しい。
沖縄もどこまでも落ち着く場所だった。
でもトルコの人が日本に来たときのほうが、確実に辺境感があるだろう。自分たちの文化とはまったく違う文化が、世界の果てで花開いている。
そして、そのまま海岸の寒村に行けば、本当に寂しい思いをするかもしれないし、それに猛烈に憧れを感じるかもしれない。
極東。
結局私もあなたもいつも、世界から離れた果ての果てで、毎日生きている。
そう思うと、それはそれでいいのかもしれない。