使い切る楽しみ 佐々木典士

ぼくが乗っている車、ロードスターの魅力は本当にたくさんある。そのひとつは「使い切れる」というところにある。排気量は1500ccだから全然大きくも速くもない。しかし一般道では充分な加速が楽しめ、高速でもオーバースピードになりすぎる心配もあまりない。

前に乗っていた軽自動車も一般道では充分だが、高速でアクセルをずっとベタ踏みにしていても覆面パトカーに捕まらない程度のスピードしか出なかった。安全とも言えるが、この場合はちょっと足りない。

岡山国際サーキットに運転の勉強をしにいったことがあったのだが、そこで会った人はメルセデス・ベンツのAMGからロードスターに乗り換えたと言っていた。前の車では何百キロも出せたと言っていたが、それを使える機会は日本ではない(ドイツのアウトバーンとかだと話は変わる)ので買い替えたらしい。バイクも同じで大型は安定感も余裕もあるが、小排気量車はアクセルを思いっきりひねれる楽しみがある。「フルスロットルだ!」というあの感覚。

性能が高く、余裕があることにももちろん価値がある。それとは全く違うベクトルで、性能を使い切れているという感覚にも価値が宿る。ぼくはどちらかというと後者の感覚が好きなので、車は好きだが、高価な大排気量のスポーツカーを買おうとは思わない。

ミニマリストの部屋で言えば、自分の持っている持ち物が死蔵せず、有機的に活躍しているときと近い。豪邸ではなく、自分の「円」が届くような範囲の家で暮らしたい。そういうときにぼくは喜びを感じる。足りないわけでもなく、無駄も大きすぎず。自分がしたいと思うことを、自分が持っているものすべてを動員して達成している感覚。

ミニマリストの持ち物は「全員1軍でがっちりスクラムを組んでいる感じ」と表現したことがあったが、今はもう少し余裕があってもいいと思うようになった。ほぼ1軍だが、誰かが怪我をしたときのための交代要員は何人かいる、ぐらいがちょうどいいかもしれない。隠され続ける秘密兵器はなく、スポイルされる2軍3軍もそこにはいない。

ここまで書いてきて「自分」もそうだと思った。人と比べることにロクなことはないとミニマリズムを通して実感したが、それでも無意識に比べ始めたりしてしまうのが人間。環境や持って生まれた能力は確かに違うかもしれず、成し遂げられる仕事にも差はあるだろう。しかし自分に与えられたものを使い切ったと思える爽やかな満足感は、それとは独立してある。だからその満足感は誰の元へも訪れることができる。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。