友人が瀬戸内海に行くかもしれないということで、香川に住んでいる佐々木さんにメールをした。瀬戸内海の話をしているうちに、「幽玄さを感じるときがある」と佐々木さんが言った。
私の瀬戸内海体験は、20歳のときにバックパッカーで岡山をまわったとき(横溝正史の小説の舞台となった町を巡った)と、10年ほど前に仕事仲間と車で尾道や香川のうどんを食べに行ったとき。
四国から尾道側に行くために、晴れた日に大橋(何橋かは不明)を渡って、その壮大さ、美しさに感動した。
以来、自分にとっての瀬戸内海は、あの橋から眺めた島々の風景で、爽やかなイメージしかない。そこに「幽玄さ」はなかったはず。
でも佐々木さんは「幽玄」というので、写真を見せてもらったところ、それは海の風景だった。
少し鈍くなった青い空とグレーの雲。雲の一部はオレンジ色の夕陽に染まり、海はオレンジとグレーの縞模様。
おそらくすぐに姿も色も変える、美しく儚い瞬間。
佐々木さんいわく、夕景だけでなく、「もや」がかかるときも幽玄すぎると感じるときがあるという。
そんな風景が高松の中心のほうからも見えるらしい。
実は、数日前には東京でも見事な夕景になった。車に乗っていて、助手席にいる妻が気づいた。
あきらかにいつもと違う美しさ。小さく分かれて複雑な模様を描いた雲たちがきれいに染まっている。
でも、たいていが建物に隠れていた。
唯一大きな空が見えたのは、公園を横断する道路を走っているとき。それは一瞬で、公園を過ぎるとまた夕景は建物の影に隠れてしまった。
もしこれが湘南なら、沖縄なら、日本海なら。
西の空が大きく、夕陽が人も建物もオレンジ色にするんだから、たまらない。
時には「幽玄」な姿も魅せる。
海外に行かなくても、日本のあらゆる場所で、今とは違う何かがある。
だからといって、雑誌に出てくる移住体験談のようにはいかない。
この地に住むいろいろな理由がある。
だから、多少の不満を持ちつつ生きる。
家族暮らしだから、さすがに安易な移住はない。
厳しいミニマリズム生活もない。かなり緩い。
気になるは子どものことばかり。
コロナ渦で変わらない日常が続くけれども、十分な体験は得られているのかどうか。
どうもそこのところが、答えの出ない問いになっている。
そんなときに耳にした、高校の国内留学の話。まだわからないけれども、瀬戸内海に友人が行くというのは、それに絡んだ話だった。
たとえば東京に住んでいても、高校を久米島や北海道、四国など地方の高校を選べるシステムがあるという。
海外留学ではなく、国内留学。
都内での激しい受験戦争に身を置くのではなく、体験を重視した高校生活を選ぶ。
たしかに、塾通いの先には高給が待っているかもしれないけれども、そこをあえて地方で勉学に励むというのは、何もないかもしれないけれども、何かがあるに違いない。
それは地元の人との小さな出会いかもしれないし、大きな出会いかもしれない。
ふと目にした暮らしぶりや風景かもしれない。
住まなければわからないもの、会えないものがあるのだ。
「沖縄はトロピカルでハッピーだ」というイメージを多くの人が持っていても、実際に住むと冬の寂しさとか、米軍の基地の危うさとか、いろいろある。でも、東京の暮らしだけがスタンダードではないのだと気づける。
自分の瀬戸内海のイメージだって、狭すぎて、何もわかっていない。
子どもに勉強はもちろんさせたい。でも、五感を使った体験や、違う環境との遭遇、美しい瞬間や風景、価値観を変えるような出会いは、やっぱり人生に必要だと思ったりする。
それは平和な時代だからこその悩みかもしれない。
昔はもっと、いろいろな体験があった。
そんなことを考えていると、戦国武将や幕末の志士たち、ヨーロッパの大航海時代を生きた人など、人類はとてつもない体験主義の時代があったのだなと思う。項羽と劉邦も坂上田村麻呂も義経もジョン万次郎も渋沢栄一も。アレキサンダーもグラント将軍もナポレオンも。
思いを馳せるとドラマチックな感情に浸れる。が、苦しみを伴う過酷な体験もあったはずで、今の平和な時代が悪いわけではない。
平和の時代にもたくさん体験があった。けども、コロナは人々を家に閉じ込め、体験の機会を奪った。
だから、みんな、多少の不満はある。
それでも歯をくいしばっているところは、やっぱり人間は凄いなと思う。
そしてやっと、いろいろな体験ができる日々が訪れそうな気配はある。
もしかしたら瀬戸内海の幽玄を見れる日は近いのかもしれない。