ハウスダストが苦手なのにも関わらず、拭き掃除が嫌いだ。
埃をとるには、掃除機だけ。
床の拭き掃除は主に妻がする。
床だけではない。
埃はどこにでもある。
雑巾で拭くとその埃で雑巾が汚れる。それが嫌だ。
そんな価値観で40年生きてきた駄目男だが、最近、毎日拭き掃除をしている。
理由はさまざまだが、最近あらゆる面で「習慣」について考えているからだろう。
習慣つまり、毎日やることをしっかり決めること。
それが自分というものを形づくるのだということ。
それでなんとなく、床の拭き掃除を日課にした。
今は朝早く起きて、まず掃除機をかけ、床の拭き掃除をする。
最初の日は、すぐに雑巾が汚れた。
嫌な気分だ。
埃が溜まっている部分もある。
拭きたくない。
そう思いつつも、嫌々ながら、翌日も続けた。
翌日は、雑巾があまり汚れなかった。
昨日拭いたからだ。
そうなると、拭き残した埃ゾーンが気になる。
拭いた。
さらに翌日。
床はささっと拭き終わる。
すると、床以外の場所が気になってくる。
ドアノブ、ドアの上の埃、冷蔵庫の上の埃、テレビの裏の埃、iMacの裏…。
他にもあらゆるところに、埃が溜まっている。
一つ一つクリアしながら、翌日にも同じ場所を拭く。
キッチンまわりなど、頑固な場所もあった。
しかし、ほぼクリアした。
今日も朝から、全部拭いた。
不思議なものだ。
毎日拭いているから、雑巾は汚れなくなった。
拭くのも、苦痛じゃなくなった。
一週間おけば、埃はたまって苦痛になるかもしれない。
でも毎日拭いているから、すぐに拭き終わる。
トイレも毎日掃除している。
お風呂も毎日掃除している。
日課にしたからだ。
日課にすると、すぐ終わる…。
こんな当たり前のことに、気づかなかったとは…。
書いていて、バカバカしいなと思う。
やっている人は昔からやっているだろう。
特に日本人の家事能力は素晴らしいと思う。
伝統的に。
なのに自分はそれを引き継いでなかった。
妻は掃除好きだが、今は仕事が忙しくてそれどころじゃない。
やはり人任せではなく、自分でするべきだろう。
習慣とはおそろしい。
毎日とはおそろしい。
埃は毎日、そこやここにあった。
それが無くなるとは、個人的には恐ろしいほどの喜びだ。
拭き掃除は、誰かのためにするのではないとわかった。
拭いた自分が、清々しいからするのだ。
埃をミニマル化することで、清々しいのだ。