色のミニマリズム
佐々木典士

ぼくは中目黒に住んでいる。

会社までは目黒川沿いを通って通勤するので、この時期は毎日花見という贅沢を味わえる。

 

桜は1年間の大部分を枯れ木のように存在感を消して過ごしている。その桜があんなにたくさんの花を開かせるのは、ほとんど奇跡のようなものとしか思えない。

 

しかし。

毎年思うのだけどなぜ桜の色より強い色味の提灯を吊り下げているのだろう。

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普段使う「さくら色」よりも実際は、もっと薄くて白に近い桜の花。なぜそれをさらにかすませるような、色を使っているのだろう。

 

この提灯は、協賛してくれた企業や個人の名前が入っているようだ。何かをするためには協力してくれる方が必要なのは痛いほどわかるけれど、この色を使って肝心の桜より目立たせることはどうしても必要なことだろうか?

 

同様に花見の下に敷かれるブルーシートも辛い……。

もう少し、桜と調和できる色でありたい。

 

ぼくは、少し神経質すぎるのだろうか? 気になった。

 

部屋のミニマリズムを意識するようになってから、部屋に置いておくものはほとんど白かベージュ、グレー、木の色など目立たないものを選ぶようになった。

 

モノをたくさん置いておくとノイズがあり、集中力はそがれ、落ち着かない。

それと同様に、派手派手しい色のモノは目線を集め、ついついそのモノが気になってしまう。目に優しい色のモノを選びたい。

 

 

もう10年以上も前に卒業旅行で訪れたミラノ。ミラノには町並みに合わせた色のマクドナルドがあって、感激したのを覚えている。

少し調べてみたら、京都にあるコンビニやチェーン店も看板を白や茶色にするなど色味をおさえているようだ。

 

神経質なのは、ぼくだけではなかったらしい。少しほっとする。

 

重要なものを重要にするため、色は削ぎ落とす。

色のミニマリズムだ。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。