桜もそろそろ散ってしまう。
毎日のように目黒川を通っているぼくが思ったのは、桜の散り際が、毎年完璧だということだ。
満開になりきってから散るのではなく、
すでに散り始めつつ満開になり、満開の時期もごく短い。
もうちょっと満開の桜が見続けたいな、と思うところで散ってしまう。消費尽くされず、飽きられるより前、そのタイミングがあまりに完璧だから、毎年あれほど桜は歓迎されつつ咲くのだと思う。
桜が咲いている時間は長すぎることもなく、短すぎることもない。ぼくたちが楽しめるちょうどよい時間だ。もっと欲しくても散っていってしまう。
それに比べてぼくたちは。モノに飽きては、次のモノに手を出し、また飽きると次のモノに手を出す。必要以上のお金を際限なく求める。腹八分目より食べて、苦しくなる。短いはずの若さと美にいつまでも執着する。
完璧に散りゆく桜はぼくたちに、やさしく教えてくれている。
「これぐらいがちょうどよいのです。私にとっても、あなたにとっても。足ることを知りなさい」