今、この瞬間を感じられる財布 アブラサスレビュー(4)
佐々木典士

アブラサス ミニマリスト 財布

アブラサスの「薄い財布 」の魅力。
今回が最後です。

ミニマリスト アブラサス 財布

薄い財布は左利きと、右利き用があり、お札とカードを取り出す方向が違う。そして財布を使う時は上向きに展開して広げて使う(そうでないと小銭がこぼれます)。

そして、右利きなら左手で財布を支え、右手でお札を数えたり、小銭を支払ったりする。つまりお金を払うときの「型」のようなものが決まっている。


「薄い財布」で支払うのには、慣れもあるけれど普通の財布よりはどうしても時間がかかる。これは不便と言っていいだろう。ぼくが前に使っていた大きな財布なら、なんでも乱暴に放り込めた。

時間がかかる→ダメではない。

 

時間がかかることは、一見不便でデメリットだ。「スマートな支払い」のみが大人のたしなみだとするならば。

 

だけど使っていくうちにそうじゃないことがわかった。この財布を使うためには「型」にのっとらなければならない。縦に開き、利き手で支払う。そしてあわててやっていては、小銭はこぼれ落ちてしまう。

「時間がかかる→ダメ」と考えればデメリットだけれど、「時間がかかる→丁寧に扱える」と考えると180度価値が変わってくる。

時間をかけて、丁寧にお金を数え、支払う、そして受け取る。
支払いの「型」が丁寧な「所作」のようになってくるのだ。

 

堅苦しいはずの「型」「所作」の魅力

 

沼畑さんと最近よく話していることがある。若い頃はその堅苦しさと息苦しさに中指を立てていた「型」、「所作」や「作法」、つまり丁寧さの魅力だ。

 

今でもあまりに形骸化し、本来の意味から離れた「型」や「作法」は好きではない。

だが「丁寧に」何かをすることは、「今」そして「この瞬間」に意識を向かわせ、集中して生きていくことだと気づいた。

モノを捨てることは、「今」に集中すること

 

モノをたくさん捨てていくと、「今」、「この瞬間」に集中できるようになると、ぼくは思っている。

モノを捨てることは
「いつか」使うかもという「未来」
「かつて」大事だったという「過去」と縁を切っていくことになるからだ。

過去も未来も本当はない。
永遠の「今」「この瞬間」が続いていくだけだ。
過去も未来も「経験」することはできない。経験できるのは「今」だけだ。

アインシュタインはこう言った。
「過去、現在、そして未来の間の区別は、いくら言い張っても単なる幻想にすぎない」

だから大事なのは「今」「この瞬間」しかない。というより「今」「この瞬間」しか存在しない。一見存在しているような過去や未来のために、眉間にシワを寄せるのはもったいないと思う。

財布の話から始まり、だいぶ話が大きくなりました。

日々の支払いの作業を通して、丁寧にすることを教えてくれる、そして丁寧さを通して「今」、「この瞬間」に気づかせてくれる財布。これがぼくが思ったこの財布の魅力だ。単に薄く、コンパクトなだけの財布ではなかった。薄くかさばらず、寄付がしやすく、丁寧さも学べる財布だった。

 

アブラサス ミニマリスト 財布

※上下に広げた財布を扱う作業は、さながら俳句を読んでいるようでもある……。

 

時間がかかるから、その間ぼくはゆっくりとした動作で、いままで「モノ」のように接してしまいがちだった店員さんとコミュニケーションをする。「小銭がちょうどありました」、「すみません、あと○○円出します」など細かいことでも伝える。

当たり前の「ありがとうございます」をたとえコンビニでも言うようにしている。

……今日はバスで降りるときに言えなかった。子供のようにお礼を言いたい。

モノを捨て、ミニマルにしていくと「今」に集中できるようになる。そして「人」との関係も変わっていくと思っている。「今」目の前にいる相手に集中するようになるからだ。

その話はまた書くことにしよう。

アブラサス 財布 ミニマリスト
※カギも一緒につけた。iPhoneと財布だけポケットに入れて、手ぶらを楽しんでいる。万が一落としてもカギの音でわかりやすい。

 

アブラサス ミニマリスト 財布
※お札によって大きさが違うことにも気づかせてくれる。海外のようにもっと違いがあると嬉しいが、縦使いの財布はお金の量が把握しやすくなる。50円玉と100円玉の同じギザギザ……わかりづらいので、改善して頂きたいです。


アブラサス薄い財布 ブッテーロレザーエディション

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。