「経験」のミニマリズム
佐々木典士

「ぼくモノ」とミニマリストは、想像以上のメディアの反響があり、連日取材を受けている。とても嬉しいことだ。

すっかりブログを更新できていなかったが、その間に本当にいろいろな経験をさせてもらった。

初めてメイクしてもらって、スタジオ収録。ラジオの生放送。対談の依頼に、雑誌への寄稿。自分には初めてづくしの経験だ。

かつてのぼくであれば、すべて断っていただろう。「自分にはムリそう」だから。「失敗したら恥ずかしい」から。

今は少し違う。「失敗してやろう」「1回やってみて、ダメだったら考えよう」という気持ちでぶつかれている。

再び、ミニマリズムに救われる

もともと見られることが過剰に気になってしまうので、すごく緊張するタイプだった。数人の前で話をするだけでも、呼吸が苦しくなる人間だった。

今は少し違う。人にどう見られようが構わない。人の目線があまり気にならなくなってきている。

自分なりのミニマリズムを進めていくうち、人と少し違う生活でも、いつも同じような服でも、人の目線が気にならなくなっていった。そして自分に徹することが、前よりうまくなった。

ミニマリズムを通して身につけられたことに、今また、助けられたのだ。以前と少し違う自分に、嬉しくもなった。

しかし、毎日の取材をなんとかやり過ごしているうちに、得体の知れないモヤモヤも溜まっていった。

「ぼくモノ」は順調だし、取材頂くのは本当にありがたいことだ。なぜモヤモヤする必要がある? しばらくはなぜだかわからなかった。

「経験」のガラクタ

貴重な経験を重ねているうちに、どうやぼくの中に処理できない「経験」がガラクタのようにあちこち散らばっていたらしい。

貴重な経験をたくさんしたが、それをきちんと処理できずに、ただこなしてしまったようだった。

部屋はスッキリしていても、ぼくの「経験」は片付いていないまま、あちこちに散らばっていた。貴重な経験をしているのに、それをうまく消化できていない。捉えられていない。貴重なはずの「経験」が次第にガラクタのようにたまってしまい、モヤモヤしてしまっていたらしい。

思い立って、二ヶ月ぶりに日記を書いた。この二ヶ月にあったことを少しだけど、消化してみる。経験したことを、書くことで捉え直してみる。そうするとガラクタのように散らばっていた経験が、どうにかまとまった形になってくる。

「モノより『経験』にお金を使うようになった」

取材で、何度も口にした言葉だ。だがただ経験を重ねるだけでも、うまくいかないことが今回わかった。

忙しいときほど「書く」

経験や記憶は、無意識や寝ている間に、自動的に整理される。今回はその許容量を超えてしまっていたらしい。

二ヶ月ぶりの日記を書いた夜は、なぜかぐっすりと眠れた。書くことで、多分何かが晴れたのだ。

「忙しいときほど片づけをする」

ぼくが大事にしていることだが、今回わかったのは「忙しいときほど、書く」大切さである。

モノだけでなく、経験を書くことですっきりとさせる。増えた経験をガラクタのままにさせておかない。しっかりと経験を「使う」ものにしていこう。

 

 

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。