もうひとつのミニマリズムへ
佐々木典士

ミニマリズムは、最小限主義。
ミニマリストと言えば、モノの話がメインになりましたが、
このブログでもたびたび書いてきたように、モノ以外にも最小限にすることはいろいろとあります。

 

ぼくには、モノの最小限を経てやりたいことがあります。
次は「誰かにやってもらうこと」の最小限。

 

誰かにやってもらうことを増やし、誰かが持っていてくれるものを使えば、スーツケースひとつで生きていくことはそれほど難しいことではありません。モノが少なくても生きていけることに当初は誇らしいような気持ちもありましたが、次第に自分が持たずにすむのは誰かが持ってくれているおかげだと思う気持ちが強くなっていきました。

 

今は職業の専門家が進んでいるので、隣の人がやっているクオリティの高い仕事を見ると、とても複雑で自分ではできそうにないことに見えてしまいます。そうなれば「その道のプロに任せよう」ということになるのは自然なこと。

 

自分の専門で稼ぎ、その他のことは稼いだお金を払って専門家に任せるということが、今の社会の基本的な枠組みです。だから自分の専門の先行きが怪しくなってくると不安になるし、お金がなくなると、専門以外のことは何もできないような気がしてしまう。もちろんお金は悪いものではなく大事なのは使い方。たくさんあったら人のために使うことだってできる。でもそれに依存せずとも楽しく生きていける。目指すところはそんな矜持です。

 

もう少し毎日を不安なく、そして成長の手応えもありつつ過ごしたい。それには「誰かにやってもらうこと」を最小限にし、「自分でできること」を最大限にすることが手助けしてくれると思いました。そのために自分で食べ物を作ることや、DIYなど笑ってしまうようなレベルですが少しずつはじめています。そのための農具や工具が増えています。

 

「誰かにやってもらうこと」の最小限もどこかで自分で心地よいポイントを探る必要があります。たとえばDIYのためのねじや、電動工具まで自分で作ろうとは思わないからです。どこまで行っても、誰かにやってもらっている、誰かのおかげで生きている、という意識は強くあるでしょう。それでも、自分が住んでいる家、食べているもの、使っている資源、それらがどういう風に手元まで届いているのか、その苦労だけでも知りたい。そのために、自分でやってみたい。

 

必要なモノの量は環境によって違うし、管理できる量は人によって違います。だからぼくはミニマリストを「すごく少ない」という客観的な条件ではなく、「自分に必要なものがわかっている人」と主観的なものとして定義しました。最小限は自分で決めればいいし、自分にしか決められない。この考え方は今も変わっていません。しかし、アイデンティティとしてのミニマリストという言葉にも、もうあまりこだわっていません。

 

タイニーハウスのムーブメントを描いた映画「Simplife」でぼくがいちばん共感したのは、ディー・ウィリアムズの「タイニーハウスは私の中でとても小さくなっている」という言葉でした。ぼくもまさに、ミニマリズムが自分の中で小さくなっているのを感じていたからです。おそらくミニマリズムもタイニーハウスも、ずっと掲げ続けることが大事なのではなく、そこを通過したときに自分が信じ込んでいた価値観が変わることが肝なのではないでしょうか?

 

モノのミニマリズムを今必要としている人にはそれを伝えたい。まだまだその役割は終わっておらず「ぼくモノ」は、ありがたいこと海外から感想や問い合わせのメールが毎日届きます。しかし、自分が必要としている方へも向かいます。

 

一度アイデンティティができると、そこから自分が変わっていったときに矛盾を感じ苦しんでしまうことがあります。そういう意味でもうひとつ、共感した言葉を。大原扁理さんの「年収90万円で東京ハッピーライフ」から。

 

――わたしは未来の自分とこの本に書いたことを一致させるために生きてるわけじゃないので、一時は矛盾に見えるようなことがあるかもしれません。でも最後に振り返るとき、世間の人からは一貫してないように見えても、「そのときのハッピー」に向かって歩いてきた一本道が自分の目から見えたなら、それでいいような気がします。  隠居してもしなくても。  どこで何をしていても。  そういうふうに生きていたいと思う。

 

あっちへ行ったり、こっちへ戻ってきたりしながらも、そのとき自分がこうしたいと思うことに正直にありたいと思います。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。