集中力という技術
佐々木典士

毎日、図書館に通っているが、スマホを持ち込まないようにしてみた。

本を読み、文章を書くために集中したいと思ったからだ。

 

Macは持ち込んでいる。そしてWi-Fiも飛んでいる。

Wi-Fiは無料だが、あえてパスワードは聞かないようにした。

人の脳は疑問を解くのが好きだ。

たとえば「circumstance」という単語がわからなかったとして、それがいきなり出てくると、それが何なのか調べたくなる。意味がわからないとウズウズしてしまう。(意味は最後に載せています)

 

図書館にスマホを持ち込まないようにしたので「後で調べるメモ」をMacで取ることにした。さぞかし「後で調べるメモ」は膨大になるだろうと思った。

 

しかし意外なことに、4時間図書館にいても「後で調べるメモ」に残ったのはたった2件だけだった。スマホを持っていれば、もっとたくさんのことを調べたはずなのに。

 

どうやらネットを使って、わからないことを調べるほど、また調べたくなることが出てくるようだ。

それは本を読んでいても同じはずだ。違うのは調べるハードルの低さ。

 

本に出てきたわからない単語を調べるために、他の本を取りに行ったり、辞書を引くというのはもはやハードルが高い行為だ。だからこそ、少々わからないことがあっても次に進もうかという気になる。

 

人がスマホ中毒になってしまうのは、何よりスマホで何かするときのハードルが低いからだと思う。そしてそういうものが出てきたときに、

既存の行為のハードルは相対的に上がってしまう。

 

電車で、大きい新聞を折りたたんで読むことはもはや面倒で大仰な行為になってしまった。家庭用のゲーム機にケーブルをつなぎ「わざわざ電源を入れなきゃいけないなんて」もはや面倒なことかもしれない。

 

ポケットに入り、必要なときに取り出せ、いつでも電源が入っているスマホは何をするにしてもハードルが低い。

そしてスマホや、パソコンは単機能ではない、何か調べようとネットを見ているうちにSNSを見たり、音楽を聞いたり、スケジュール帳が気になってきたりする。

 

単機能でないということは、本来マルチタスクで物事を処理しているという人の脳と、あまりにうまくいきすぎる。そして、もともとは何をしていたんだっけ? となってくる。

 

SF作家の藤井太洋さんが面白いことを言っていた。藤井さんは立って文章を書いているという。立って文章を書くなんて、疲れそうなのになぜか?

 

座った状態で書いていて、何か調べるために立ち上がると何をしようとしていたのかわからなくなることってあるでしょ? と。人の意識は、立ち・座りを挟むだけで、途切れてしまう。

 

目線を落とし手元で本を読んでいて、何かを調べようとパソコンの画面に視線をあげるだけでも、意識が途切れることがある。藤井さんはそれを避けるために、紙を見るときは、ディスプレイと並べるように資料を立てているという。

 

スマホがある現代で集中力というのは、もはやその人に備わっているかどうかより技術の差が大きいと思う。ネットから距離を取り、「そういえばネットで調べられないんだった」と思えば、また本に目を落とすしかない。そうしているうちに、勝手に脳は本に集中しはじめる。

 

※circumstance =ある事件・人・行動などに関連する周囲の)事情、状況、(人の置かれた)環境、境遇

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。