幸せは「環境」じゃない
佐々木典士

撮影のために、沼畑さんと一緒にクロアチアの旅をした。 クロアチアを訪れるのはこれで4度め。 何度訪れても魅力的な、大好きな国。

 

訪れる度に思うのだけど、クロアチアに住んでいる人はみんな幸せそうに見える。 どうしてだろう? クロアチアといえば、オレンジ色のレンガの街並み。 日本人にとってはジブリ映画のイメージでおなじみだ。 そのオレンジの街並みを囲んでいるのは、どこまでも澄んだアドリア海のエメラルド。 なめらかな石畳、広い敷地の気持ちのよい公園、本当に散歩するのが楽しい。

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街の至るところにあるオープンカフェは1日中盛況で、 みんなコーヒーを飲みながらお喋りをしている。 シーフードとワインが飛びきり美味しい。 首都のザグレブであっても、スーツを着て仕事をしている人はまれだ。 日本人の目からするとさながら毎日が日曜日のようでもある。 自然は豊かだが、地震など災害は少なく、治安もよく安心して暮らせる街。

 

人々が幸せに見えるのはそんなクロアチアの恵まれた「環境」が そうさせているんだろうと、なんとなく思っていた。

 

しかし。

 

「幸せ」についての研究報告によれば 「環境」は「幸せ」を構成するわずか10%の要素でしかないそうだ。 (ちなみに残り50%は遺伝、残り40%が自分で変えられる「行動」にかかっているとされる)

 

「環境」には住んでいる場所が良いか悪いかというだけでなく、裕福か貧乏か、健康か病気か、既婚者か、離婚経験者かなどあらゆる要素が含まれている。

 

しかしそれで差がつく「幸せ」は10%の違いのみ。 一般に幸せを大きく左右されると思われている「環境」。 それがどうして10%の少ない割合になるかというと、 人間には驚くべき早さの順応性があるからだ。 「快楽順応」。

 

人間は良いことが起こっても、すぐにその状態に慣れてしまう。 (反対に「不幸」だと思われている悪いことが起こってもその状態に慣れ、打ち勝つことができる) もっとお金があったら、もっと物が買えたら、もっと広い家に住めたら、素敵なパートナーと結婚できたら。いつか○○できたら幸せになれそうなものだが、実はそうではない。

 

一見派手で重要な「環境」にはいずれ慣れてしまい、実は「幸せ」にはさほど影響しない。 良いことも悪いこともすぐに均されて、元の「幸せ」の状態まで戻っていくというわけだ。

 

確かに、と思う。 何度行っても魅力的な国であることは間違いない。 だが、滞在を続けていくうちにどんなに素晴らしい環境であっても 「慣れ」てきてしまう感覚はある。

 

10日間ほどの旅ですらそうなのだから、現地に住むひとであれば尚更のことだろう。 クロアチアの人が「幸せ」に見えるのは、どうやら「環境」のせいではないらしい。 では、何が理由なのだろう? 「幸せ」に見える1つのヒントは、他人に対する接し方にあると思う。

 

クロアチアの人は、本当に親切に接してくれる。 ぼくは不十分な英語しか喋れないけれど、閉店間際の薬局で消毒液を探していたら、親身になって相談に乗ってくれた。 ランチを取ったレストランで、海沿いのプライベートビーチで、撮影をお願いすると嫌な顔ひとつせずOKしてくれる。 クロアチア語しかわからないドライバーのため、クロアチア語と英語の通訳を誰もが喜んで引き受けてくれる。 国立公園のインフォメーションでは、仕事を超えた懸命さで撮影スポットの説明をしてくれる。 お土産屋さんを探して、道を尋ねるとみんな立ち止まって真剣に考えてくれる。

 

長い車移動の最中、トイレを探しに、町の郵便局に数人でふらりと入った。 掃除のおばさんらしき人がひとりいて、「トイレはない」ということを にっこりとした笑顔とともに伝えてくれた。

 

6年前、はじめてクロアチアを訪れたときのことを思い出す。 突然訪ねた我々を快く家に招いて、飲み物をふるまってくれた温かい家族。

 

日本人だったらどうするだろう? 見知らぬ外国人に声をかけられたら、怪訝な表情で冷たくあしらわないだろうか? ましてや自分の家にいきなり招き入れるだろうか??

 

どうやらクロアチアの人は、見知らぬ人に対して親切にするということが 日本人よりも当たり前のこととして染みこんでいるようだ。 同僚や通りすがりのひとに真っ先に支援の手を差し伸べる。 これは、最も幸福な人々に多く見られる行動パターンだという。

 

電車で席をゆずったり、落ちているゴミを拾ったり。 他人のためになんということもない親切な行動をしたあとに感じる、 ほっこりとした気持ちは誰でも感じたことがあるだろう。

 

「幸せ」のための重要な要素、しかし重要だとふつう思われていない要素。 なんということもない「行動」を積み重ねて作る「幸せ」。

 

クロアチアの人が「幸せ」に見えた理由の1つはこれだ。

 

旅先で出会い、ぼくたちに親切にしてくれた人たちは、 他人のために「行動」することが「幸せ」だと知り尽くしているひとだったのだ。

 

ぼくたちは親切に接してもらったことで、 嬉しくなり幸せを感じた。 そのとき確かに相手も幸せを感じていてくれたのだ。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。