モノを減らすというのは、ミニマリズムの大事な要素だけども、どうしてモノを減らすのかというと、どうしてだろう。
理由はいろいろあるけれども、一つの大事な要素に、「何もしなくても過ごせる空間を作る」というものがあると考える。
ミニマリズムの空間は、何もせずに何時間でも過ごせるのだ。
先日、「ピクニックに行ったとしても、何もしないのは耐えられない」という意見を聞いた。
時間があると、走ったり筋トレしたり、体を鍛えたいという。
わかる。と思った。
私もちょうどその前の日、思い当たるフシがあったのだ。
最近、部屋の片付けの密度というか、スピードが上がっていて、ほんとにリビングに「モノ」が置かれている時間が少ない。
家具以外、常にモノがない。
妻と娘が寝室に行ったあと、私はその部屋でお茶を飲んでいた。
お茶を飲みながら、天井をみたり、テーブルを見たり、壁を見たりしている。
つまり、何もしていないのだ。
そんな時間が、とても気持ちよかった。
でも、今までなら、本を読んだり、映画を観たり、ネットサーフィンしたりと、何かしていたなと思った。
こんな風に、「何もしない」なんて過ごし方はしなかった。
それが出来るのは、本当にきれいに片付いた部屋で、ミニマリズム性を感じながら、少し世間から遮断されたような空間だからだと、思った。
何もせずに過ごせるというのは、私の場合ピクニックだったり、ベランダだったり、旅先のホテルだったり、車の中だったり、いくつかあるけれども、世間と離れた隔離的ミニマリズムの状態で起こる。
これが部屋で発生するというのは、モノをなくすことで自分からも世間からも隔離的な空間にして、ピクニックやベランダと同じ状態にするということだろう。
モノを減らし、自分の好きなものを遠ざけ、モノのない部屋にすると、ふとミニマリズム性は生まれる。
それがモノ減らしの、大切な理由のひとつだ。
※写真は以前に宿泊したザグレブのホテル