きれいな夕陽を見て、写真に撮る。
ぼくには、その写真を特に説明もなしに送りつけることのできる相手がいる。
沼畑直樹さんである。
沼畑さんが書いた「最小限主義。」でぼくが感じたことはいろいろあるが、ここではひとつだけ記したい。
幸福論のミニマリズムについて。
沼畑さんは、ずっと幸福について考えていた。
その幸福が、ただ夕陽を見るということから、さらに推し進めて
幸福とは「空」を感じることである、という結論にこの本では行きつくことになる。
「空」を感じているかどうか。
これは確かに、ミニマルな幸福論である。
今日、自分は朝陽を見たか、夕陽を見たか、星空を見たか、月を眺めたか?
自分に問いかけてみる。それで今日一日を振り返ってみる。
こんまりさんの「心がときめく」かどうか、という判断基準はミニマルでわかりやすい。
「心のときめき」はすごくわかりやすい基準だけれど、その中に実はいろいろな条件を含んでいる。
いろいろな条件を満たして始めて「心のときめき」が発動する。
「空を見たかどうか」も簡単なようでいて、実はいろいろな条件がある。
たとえば、空を見上げるぐらい、心が前向きであること。
夕陽を眺められるくらい、時間のゆとりがあること。
遅くまで起きていたり、昼まで寝たりしない、自然な生活をしていること。
人工物に遮られすぎない場所にいること。
世界を美しいものとして見ること。
「ぼくモノ」は単にモノを捨てる本、ミニマリストを紹介するだけではなく、新たな幸福論のつもりで書いた。ぼくのメモには、幸福を構成するたくさんの要素が列挙されている。幸福学では、48もの要素が挙げられていたりする。そのひとつひとつを自分に毎日問うのは大変だ。
「空を眺めたかどうか」
自分に毎日問うのは簡単だし、有効でもある。
「ぼくモノ」のあとがきに書いた。
ミニマリズムを通して、友人までできたことを嬉しく思うと。
2008年に出会った沼畑さんとは、仕事で4回もクロアチアに行くことになる。
その中の1回は、ハンガリーにも行ったし、スロヴェニアにも行った。
どれも思い出深いけれど、1年に1回ほど海外に一緒に行く仕事相手という関係だった。
それほど仲がいいというわけでもなかった。
それがミニマリズムを通して、変わった。
ぼくは、コーヒーのサードウェーブも、ポートランドのことも沼畑さんから教わった。
海外の新しい価値観に敏感な沼畑さんから話を聞いて、ぼくはふんふんと話を聞いていた。
沼畑さんも書いているように、ぼくたちは互いに影響を受けあっている。以前は、沼畑さんからぼくが話を聞き、一方的に影響を受けるだけだった。沼畑さんから教えてもらったミニマリズムのおかげで、それが少し変わった。
ミニマリズムは沼畑さんからぼくが受け取った種のひとつで、ぼくの中でとても大きなものに育った。
「ぼくモノ」は先に世に出て、「最小限主義。」は後から世に出た。
だけど、それは双子の弟が先に生まれてきたようなものだと思う。
「ぼくモノ」がなければ「最小限主義。」はなかったかもしれない。
そして「最小限主義。」がなければ「ぼくモノ」はきっと生まれてこなかった。