ミニマリズムの代償
佐々木典士

小説家のジョン・ガードナーは「法律を破れば必ず代償を払い、法律に従っても必ず代償を払う」と言ったという。

 

確かに、バイクに乗るときノーヘルで法律を破れば、危険だし減点されてしまう。
しかし、法律に従い、窮屈なヘルメットを被れば安全は確保されても、解放感は薄れる。

 

ミニマリズムも同じで「ミニマリズムでなければ代償を払い、ミニマリズムに従っても必ず代償を払う」のだと思う。

 

たとえば体を拭くのにバスタオルを使っていれば、かさばることや洗濯の簡単さを代償に支払うことになる。手ぬぐいを使えば、バスタオルのふわふわさを代償に支払う。

 

服を買うのは楽しいものだが、毎シーズン頭を悩ませ、毎日のようにコーディネートを考えなければいけなくなる。毎日同じ服を着ていれば楽だが、服で気分を変えることはできないし、人によっては辟易されている可能性もある。

 

そういえばフリーランスになってから名刺を持っていない。名刺を刷らなくてもいいし、「名刺切れ」とも無縁だ。連絡先も公開しているので、業務に差し支えはない。

 

しかし代償として支払っているのは、たとえば編集者時代に「この仕事誰に頼もっかな〜」と名刺の束をジャグリングしてたりしたので、そういう仕事には引っかからないだろう。そして名刺コレクター気質の人もいるので、そういう人にはがっかりされていると思う。自分で名刺がめんどくさいと思っている人ほど「名刺ぐらい持てよ」と思っているかもしれない。(ありがたいことに名刺持っていないというと、「ですよね!」と言ってくれる人が多い)

 

ミニマリズムを実践することは、家を探すときに似ている。
家賃、築年数、広さ、間取り、日当たり…、希望のすべてを満たす物件はないので
優先すべきものを考え、何を犠牲にするか考える必要がある。

 

多くの人は代償だと思っているが、自分はそう思わなければ幸運が訪れる。

 

たとえばお墓の前に住むことが気にならないなら、家賃は安くなるだろう。
ぼくの場合で言えば、上にあげた名刺もそうかもしれない。代償を支払っているが、そのほうが身軽でありがたい。

 

何を代償だと思うのか、その代償を支払うかわりに何を得るのか?
その違いが個性になっていく。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。