軽トラとフェラーリ
佐々木典士

軽トラを買って3ヶ月が過ぎ、おっかなびっくりだった運転も、今では自転車を出すのとまったく変らない感覚で乗れるようになりました。

18年ぶりの運転はとても怖く、それゆえに成長の喜びが楽しいものでした。

 

軽トラといえば、車のなかでいちばんステータスがないものだと思いますが、軽トラの運転をぼくはとても楽しんでいました。

 

何台目かでフェラーリを乗っている人より、1台目の軽トラに乗っている自分のほうが絶対楽しんでいる! と思いながら乗っていたものです。

 

価値は、客観的な条件でなく、それをどれぐらい楽しんでいるかにあるとぼくは思っています。

 

車好きのテリー伊藤さんが「何十台も車に乗ってきたけど、最初に買った中古車にはかなわない」というようなことを言っていましたが、さもありなんという感じです。

 

同じようにぼくがiPhoneXを買っても、お古のiPhone4をもらった小学生にはかなわないと思います。

 

誰かが持っているモノがまぶしく見えたとき、ではどれぐらいそれを楽しんでいるかという観点に切り替えてみる。それは誰にも判定できず、自己申告制です。

 

だから客観的な条件を上げなくても、楽しめる自分の感性を磨けばいい。

刺激の量を増やすのではなく、受け止める傘のほうを広くする。

 

ミニマリストを志す前は、フェラーリを見ると「どうせ、役に立たないものを誰かに売りつけた金で買ったんだろ!」みたいな感じも正直ありましたが、今は「高い保険や、維持費を払ってくれて、無料でぼくの目を楽しませてくれるなんて、あなたが神か!」と思うようになりました。

 

関係ありませんが「軽トラの助手席に喜んで乗ってくれそうな女性と、軽トラに乗せるには憚られる女性がいるな~」と謎の二択が生まれました。

 

まぁ、どっちも好きなんですけども。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。