モノとアイデンティティ
佐々木典士

毎朝違う部屋とベッドで起きたら、もっと自分のアイデンティティから自由になれるのではないだろうか?

 

 

こんなことを思ったのは、年末年始をたっぷりと実家で過ごしたから。そこには読んでいた漫画や、卒業アルバムや、自分を形作ってきたものがモノとして残っている。小学生のときの身長も、柱に油性マジックではっきりと残っている。

 

 

お気に入りのモノを手入れしてずっと過ごすこともすばらしいし、好きなモノであっても時折手放していくのも楽しい。細胞のように、モノも新陳代謝させる。

 

 

好きなモノ、自分を形作ってきたモノを毎日見つめるのは嬉しいものだが、自分のアイデンティティを固定化することでもあると思う。自分はこういうものが好き、自分はこういう人間、と毎日目で見て確認するようなものだから。

 

 

アイデンティティはどうしたって形作られる。声や身長みたいにどうしても逃れられないものもある。だけど、それを時折忘れたふりをしてみることも新しいことをはじめるのには有効だ。自分は引っ込み思案な人間だ、人見知りだ、ということをいっとき忘れればもっと出かけていける。

 

 

いろんなことに挑戦しているが、それにはモノが少ないことも役立っていると思う。手放すことでモノに付随していた自分を忘れる。一貫性を気にせず、そのときいちばんやりたいと思ったことをする。

 

 

ミニマリストになってよかったと最近思うのは、選んだものも、選ばなかった選択肢にも価値があると思えるようになったこと。素敵なモノはすばらしい。素敵なモノとお別れすることもまたすばらしい。

 

 

選択肢はいろいろとあるが、どっちもどうせ楽しめる。もうなんだっていい。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。