クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』レビュー
佐々木典士

クリント・イーストウッドはもう87歳。

知らないうちに亡くなってやしないかと不安に思い、定期的に検索してしまう。

輸血のようにぼくの寿命を分け与えられるならぜひそうしたい。それでもっと映画を撮り続けてほしい。ぼくにとってはそんな存在だ。

 

 

 

映画は実話を元にしている。だから映画の内容は、すでにネタバレしている。

2015年8月21日、アムステルダムからパリに向かう高速鉄道タリスには500名を越す乗客が乗っている。

銃弾を大量に持った男がその列車でテロを起こし、旅行中に居合わせたアメリカ人がその男を取り押さえる。

 

 

物語の筋は基本的にこれだけ。そのせいか映画も94分と短い。

 

 

この映画のトピックは、その旅行中のアメリカ人3人を演じているのが本人自身であるということ。

なんと被害者である乗客たちまで(しかも銃で撃たれた人まで)本人が集まり撮影に参加しているという。

撮影も、実際に走る列車のなかで行われたというから徹底している。

 

 

 

クリント・イーストウッドは

「この映画はごく普通の人々に捧げた物語である」

と言っている。

 

 

実際、映画は普通の人の半生をたんたんと綴っていく。

 

 

主人公たちは優秀だったわけではない。かといって重すぎる障害を抱えていたわけでもない。

だから次々に巻き起こる試練を覆していく英雄の物語、とは全然違う。

 

 

これはスカイプで連絡をとり、自撮り棒でセルフィーし、SNSに投稿する、普通の若者たちの物語。

美人を見れば声をかけ、アムステルダムのクラブでハイになり、重い二日酔いになる若者たちの物語だ。

 

 

件の列車に乗る前、3人がヨーロッパ旅行をするのだが、有名な観光地を訪れるその風景は、もはや、ただのホームビデオを見せられているような感じ。事実をありのままに撮るとこうなるのだろう。80分あたりまではつまらないと言えるかもしれない。

 

 

おもしろい映画を見たときには、開始15分〜20分ぐらいで「もう充分入場料の元は取れたな」と思ったりする。

むしろそうでない映画が、そこから面白くなるという経験をしたことが記憶にない。

 

 

ぼくはクリント・イーストウッドの映画を見ると、

自分が何に心を動かされているかもよくわからないのに、いつも涙がはらはらと落ちてくる。

今回はこれが最後の15分に不意に起こった。

 

 

『グラン・トリノ』以降の静謐な映画は、すでに霊界から届いているような錯覚を覚えていたのだが、この作品では静謐さも影を潜め、単に普通だ。

 

 

だからこそ見た目以上に実験的な作品だと思った。

脚本の妙や映画らしいおもしろさを感じたいなら『スリー・ビルボード』を見に行ったほうがいいだろう。

しかし、ネタバレしていて、ドラマティックでもない映画で、よくこんなことができるなと思う。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。