Less is future

解放感はミニマリズム Minimalist Beauty 沼畑直樹

キャンプに行くと、タープの下、テントの中、いずれにしても解放感がある。

週末に、20サイト程度しか入らない木々に囲まれたフリーサイトでオートキャンプをしたが、豊かな解放感があった。

開放感ではない。解放感。

フリーサイトなので、友人の家族と自分の家族でひろびろとスペースがとれて、オートキャンプだから車で区切られて隣同士とも隔離されている。

遮断だ。

住み慣れている部屋と離れて、日常と隔離をして、リトリートのように、エスケイプする。

 

サクラの木の下で、テントには毛虫がときどき落ちてきたり、気がつくとライトグリーンの小さなカエルがいたり。

タープの下にちょうどいい具合に風が吹いて、時間はあっとう間に過ぎていく。

 

一人でもし、崖の上の小さな平地にバイクで行き、テントを張ったら。

もっと孤立感を増し、もっと遮断感を増す。

そして、解放感は、もっと得られる。

 

高校生のころに何も考えずに、ただ山の中の最終地点までバイクで行ってテントを張っていたとき、何が気持ち良くてやっていたのかわからなかったが、そういうことだと思う。

日常の自分の環境、仕事、持ち物から離れて、自然の中で隔離される。

隔離、遮断はミニマリズム。

解放のミニマリズムだ。

 

隔離された環境で感情は解放される

「車のドアを閉じた瞬間にバリアーになる」とスチャダラのBoseさんが言っていたが、佐々木さんは「車の中で人は歌ったり自由になる。だからこそ怒りっぽくなる」と言っていた。

たしかに、沖縄の離島にいたころ、泣いたり笑ったり、怒ったりしていた。

隔離された環境で、感情が解放されるのだ。

 

人の多い街中を歩いているとき、人は無意識にいろいろなものを閉じ込めている。

そこで笑ったり泣いたりしていたら変だし、そのためにいろいろ閉じ込める。

それが解放感の無さになる。

 

モノを手放すこと、少なくすることは人を解放に向かわせる。

自然の中で、人は解放に向かう。

人間関係のごちゃごちゃや、SNSのやりすぎは、整理すると解放に向かう。

もしかしたら、ごちゃごちゃのままでは、泣いたり怒ったりもできず、ただ何かを溜め込むかもしれない。

人混みの中を歩くように。

 

一人は孤独で、寂しいというのが世間の価値観だ。

「そこに解放感はなく、人と繋がっている人は人生を謳歌している」

 

一人は寂しく、美しさもないのか。

世界的なミニマリストブームによって、「ミニマリスト・ビューティ」とは、ミニマリズムな美しさについて表現する際に生まれた世界的な言葉(美容でも使われるが)だ。

「エレガント・シンプリシティ」とは、シンプルによる優美さ。

大きくなくても、立派じゃなくても、少なくても、小さくても、きっと美しさや気品は存在する。

だから、「一人=寂しい=可愛そう=遮断」という見方だけでなく、「一人=遮断=解放感=Beautiful」でもある。

ミニマリズムは「大きいものはいい。小さいものは駄目」という価値観に対して、「大きいものはいい。小さいものもいい」という平等を訴えたものだ。

都会の人混みの中にある日常もいい。でも、週末はミニマルでいたい。とか、SNSで知り合いが多いのもいい。でもSNSをやっていない人もいい。というのがミニマリズムの価値観だ。

お金持ちもいい。でも、お金を持たないでいようと思う考え方も、またいい。

週末は人混みの中で踊るのもいい。また、人の少ない自然の中で過ごすのもいい。

人とつるむのもいい。つるまないのもいい。

 

 

人と繋がることの美しさは確実に存在する。たとえば成功した人の「○○のおかげなくしてはなし得なかった」的美談は否定できない。

「人はまわりの人によって支えられ、一人じゃ生きていけない」

その通りだ。

全身が毛で覆われていた原始のころから、動物を倒すために数人でひたすら獲物を追いかけていたわけだから、まさに一人では生きていけない。

強力な価値観だが、これだけで判断すれば、「あまり人との繋がりがない人は駄目」だということになる。

 

ミニマリズムは、最小限主義は、「人とあまり繋がりを持たないこと」を否定しない。

人と繋がらないことの美しさも存在するというのが、ミニマルなイズムだ。

一人=解放感=Beautiful

そう考えると、少しほっとできる。