しっかりと片付き、モノを飾ってない居間から、寝室に向かう。
居間の電気のスイッチをカチッと押し込むと、暗闇と静寂が居間に降り立つ。
シーン。
その暗闇にぼんやりと浮かぶテーブルや壁を眺めていると、なぜかミニマリズムな雰囲気を感じる。
吉祥寺の家ではそういうことがよくあった。
南東と南西の壁に大きな窓が並ぶ吉祥寺の居間は、昼間はひたすら明るく、元気な雰囲気を生む家だった。
リノベーションで二つの部屋をひと続きにした長方形の空間なので、影も生まれにくく、部屋全体がいつも明るい。
一方で、引っ越してきた家はマンションではなく一軒家のため、小窓が多く、仕切り(部屋数)もあるので、電気をつけなければ暗い空間がある。
小窓は東西南北にあるため、時間によって光の射し込むかたちが変わり、明るい空間と暗い空間は入れ替わっていく。
南に大きな窓はあるが、雨が多い日にはシャッターで閉め切るため、小窓たちからの光が頼りとなる。
ある曇りの日の夕方、北側の洗面室に行くと、暗くなっていたそこに、いくつかの小窓から光が射し込んでいた。
それがほのかに壁を照らす。
ただの白い壁紙で成り立っている壁は不満ではあった。だけども、そうして暗いときに照らされる壁は、妙に美しかった。
それで心にスイッチが入ったのか、暗い空間に入るほのかな光が、どの部屋や廊下でも、美しく佇んでいることに気づく。
電気をつける前のほの暗い部屋に入る光と影。
陰影だ。
壁を流行りのグレーやパステルにしたり、絵を飾ったりすることで室内は美しくなっていくだろうし、注文住宅のように複雑な空間構成にすることで満足度が高い家になる。
新しい我が家は、シンプルに最低限な造りのために、装飾も少なく、空間構成の面白みもないので、それだけで満足度の高い空間かというとそうではない。
そのため、もし部屋のあかりをたっぷり取り込んで、明るくしてしまえば、すべてが剥き出しになって、気恥ずかしい。
対策してなのか、緑を多く入れようということになり、緑や花を飾るようになった。
他にも、シンプルな絵ぐらい飾ろうかと考えたりしていた。
だが、暗さを受け入れて、陰影を認めるとき、何もない空間がかえって美しく見えた。
夜は吊り下げのライトを使わず、床に置くフロアライトだけにすれば、キャンプの夜、炎をただ見つめるキャンプファイアと同じ。
ただ光が美しく、部屋の簡素な壁紙は気にならなくなる。
家を紹介する雑誌ならば、そんな家は対象外だ。暗いときにいい家なんて、紹介しようがない。
光をたっぷり取り込んで撮影し、美しくなければ掲載はできない。
そもそも、光の入らないその眺めは寂しく、ただ寂しい。
その寂しさを美と認めることができなければ、ただ寂しいだけだ。
陰影を認めてから、むやみに電気をつけるのをやめた。
暗さを楽しむ余裕ができて、それを寂しいと感じることはなくなった。
おそらく、今までそれを受け入れられなかったのは、子どものころに陰影が怖かったからだ。
祖父の家は、般若の面が玄関にあり(当時は魔除けとして一般的だった)、緑色に装飾されていた壁や、ほの暗い階段が怖かった。古い日本家屋は暗い木が使われていることもあって、暗いときは本当に暗い。
子どもにはそれが怖い。
大人になって、そういう怖さを克服すると、今までみてきた暗さや曇り空に懐かしさを感じたりもする。
たとえばアウシュビッツを描いた『ショア』というドキュメントで、収容所に行く列車の運転手が、戦後に同じ道を辿るシーンがあり、暗いポーランドの田舎道が映し出されるシーンがある。
昔に観た映画なので、そのシーンが曇り空だったのかどうかわからないが、心の中で曇り空のシーンとして残っていて、暗くなった日中の風景を観るときに、ふとその感覚を思い出す。
大人になってヨーロッパに足を運ぶようになって、ほとんどが明るく美しい風景という記憶しかないのに、あのシーンはいつまでも心の中で暗い。
でも、私の中では戦争のころのヨーロッパを感じさせる、懐かしい心象風景となっているのだ。
暗い空は、沖縄で出会った明るい空とは対照的だが、それを雨音や静寂とともに、今は受け入れられる。
子どものころは怖かった部屋の中のほの暗さも、大人にとっては芸術的な空間だった。
「見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい」
谷崎潤一郎が『陰翳礼賛』の最後に結んだ言葉は、闇のミニマリズム。
暗くなったときに風景はシンプルになり、その幽玄な光と影について、いつまでも眺めていられるのだ。