無機質でミニマルな部屋が、ラウンジのようになる瞬間。 沼畑直樹

先週、子どもを3時ごろ迎えにいって、夕方を家でともに過ごした。

最近は妻と子どもを同時に迎える上に、日が暮れる時間が早くなってきたから、ちょうど夕陽のころに家にいない。

その日は妻が遅いと決まっていたので、夕方に出かける必要がなかったのだ。

 

2階には部屋が3つあり、ひとつがシアタールーム、ひとつが寝室で、ひとつが決まっていない。

最初は仕事部屋にしようと思ったが、仕事机が他の部屋に行ったり来たりして、しばらく空っぽのときもあった。

最近また、机ひとつ、この部屋の窓際に置いている。

 

窓は西側を向いていて、この日も雲が複雑に絡み合い、少しずつ赤くなっていった。

娘を連れて、椅子も運んで、机の前で夕陽を眺めた。

そのとき、部屋の感覚が、少し変わった。

 

飲み物を持っていたせいか、ウェルカムドリンクを飲む旅館やホテルのラウンジのよう。

夕方に到着し、入り口からラウンジまで真っ赤に染まった能登七尾湾のホテルみたい。

 

何も飾りのない、壁紙も何も面白くない部屋なのに、そんな雰囲気を出した。

 

いったいどういうことなのか。

 

 

1階のリビングでご飯を用意していた私は、2階のその夕陽の部屋に食事も運んで、暗くなるまで娘とともに夕陽の時間を楽しんだ。

夕陽ではない雨の日や、昼間には、ラウンジのような雰囲気は一切ない。ただミニマルなだけだ。

 

今同じ場所でPCに向かっているが、このPCがあるだけでそのときとも随分違う気がする。なので、このPCを片付けてみる。

やはり違うけれど、テーブルの上に飲み物だけになったとき、見るのは外だけとなった。

曇り空だし、普通の住宅が並んでいるだけの風景はさほど美しくもない。

でも、外を眺めるためだけの部屋とか、椅子というのは、前の吉祥寺の家でもなかなか実現しなかった(理由はいろいろある)し、そこがまず新鮮だ。

この部屋は、目的が定まっていないから、何もない。

PCもとってしまうと、ほんとに外を眺めるしかない。

 

その眺める対象が、夕陽という美しいものに変わったとき、たぶん、絶景のホテルのようになる。

もし窓の外が雲海だったり、夜景だったり、海だったりすればいいのだけど、私の家はそんなところにないので、美しい雲か夕陽か、星空や月しかない。

それらが西の空にあらわれたとき、そのときだけ、この部屋はラウンジになるのだ。

 

目的を窓の外に集中させるには、何もない部屋が一番いい。

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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