「クルマの中には何も置きたくない」 それが願いだ。 そして、これは戦いだ。 ミニマリズムという戦いだ。 新車を買って数ヶ月、クルマのダッシュボード他、あらゆる場所には何も置かれていない。 妻も同じ考え方であるので、助かっている。
しかし、ラゲッジルームには魔物が住んでいる。 まず、クルマを綺麗にしたいのだから、掃除用具が最初に必要となった。 モップ、タオル、水といったもの。 他にゴミ袋、窓ふきの使い捨てティッシュなど、少しずつ増えていく…。
増えていくが、「クルマを綺麗にしたいのだから仕方ない」と自分に言い聞かせる。 やがて、掃除用具を入れる箱がやってきた。 蓋のない、籐の入れ物。 部屋の掃除の末、要らなくなったものだ。
そこに掃除用具がごそっと入った。 次に、子供のおむつ。 「必要になったときのために」ということで渋々了解したが、一向に「必要なとき」が来ない。
ある日、「やっぱりこれは家に持って帰ろう」と提案した。 すんなり了解を得て、ラゲッジルームはだいぶ広くなった。 ある程度、満足。
そして最近。 実家に帰ったときに、おむつを忘れたことに気づいた。 しかし、気づいたのは実家に着いてから。 クルマは少し離れた駐車場に置いてある。 しかも、クルマにオムツはない。
仕方ないので、新たにオムツを買う。 「やっぱりクルマに入れておけば良かった」と妻の声。 いや、クルマにいるときに気づかなかったのだから、入れておいても同じだ…と私の心の声。
帰りの日。 実家にあまりたくさんのオムツを置いておいても仕方がないので、いくつかを小さな袋に入れて持って行くことにする。
「クルマに置いておいちゃ駄目かな」という妻の問いに、「いや、それはやめておこう」。
するとまわりから、「置いておけばいいじゃん!」と声援。 「いやいやいや」と毅然と拒否。
ここで理由を詳しく話しても絶対に通じない。
便利さで言えば絶対的に置いておけばいいわけだし、置かないというのは「美学」であって、人には通じない。 「はぁ?」となるだけだ。
今回は確かに失敗した。 でも、今度は自分も含めて「オムツを忘れずに」を徹底しようと心に誓う。 それが上手くいけば、オムツが大量に置かれたままのラゲッジルームではなくなる。
翌日の朝、クルマで子供を保育園まで送り、駐車場でラゲッジルームを眺めた。 「オムツは拒否したのに、掃除入れはなんだか汚いぞ」 という考えがむくむくと沸いてくる。
家に帰り、天袋の中からオーダーメードシューズ『ディ・ミリア』のシンプルな黒い靴箱を取り出す。
「これだ」
掃除道具を整理し、その黒い靴箱に入れて蓋を閉じる。 なんとシンプルになっただろう。
これがいつもの整理の感覚。 ごちゃごちゃ汚くても、気づかない日々が続いて、ある日ふと気づく。 そして整理してみて、今までどんなに汚かったか気づく。 この繰り返しなのだ。
今、この箱が、このクルマの唯一のオプションだ。
いずれは、この箱もなくなるかもしれないが。