ミニマリストと過去
佐々木典士

いまでこそ、ミニマリストの人となりはぼんやりとわかっているけれど、

それが生まれはじめの当初は、どんなひとたちがいるのかよくわからなかったので、

とにかく会って話を聞きに行った。

 

 

いろんなミニマリストの話を聞いて思った印象のひとつは

ヘヴィな家庭環境の人だったり過去にいろいろあった人が多いなということだった。

 

 

考えてみれば、モノを減らすことは過去の清算という意味合いもある。

別れた恋人の思い出を手放したりするのが象徴的でわかりやすいかもしれない。

自分の写真すらぜんぜん持っていない、という人も何人か知っている。

 

 

過去を清算して、何か変わりたいと思った人がモノを減らす。

自分の場合といえば、人に語るようなヘヴィな事件はあまりない。

 

 

思い当たるのは、過去のことはあんまり思い出さないということだ。同窓会に出れば、何組でそのクラスには誰々がいてという話になるのだが、ぜんぜん覚えてない。いっぽうなんでも覚えている人もいて(勉強ができたとかは関係なく)やっぱりその人は過去を反芻する回数が多いんじゃないかと思う。

 

 

そんな風に過去にあまりこだわりがないことで、モノを手放せたのかもしれないと思っていた。

 

 

しかし考えが少し変わる。「習慣の鬼」をいろいろ研究しているのだが、そのひとりが村上春樹さんだ。村上さんは穏やかな住宅地域で、問題のない家庭の中産階級に育ったそうで、29歳になるまで小説を書こうとは思っていなかったと言う。なぜなら自分の中にドラマがなく、書くべきことがなかったから。

 

 

しかし、書いているうちに「幼年時代、少年時代に自分が傷ついていないわけでは決してなかった」ということに気がついていく。「人というのは、だれであろうと、どんな環境にあろうと、成長の過程においてそれぞれ自我を傷つけられ、損なわれていくものなんです」と言っている。

 

 

たとえ事件としては大きいものがなくて、平凡に見える人生でもよく見ていくと誰にでもそんな経験があるのではないか。満たされているなら、満たされているなりに何か思ってしまうのが人だ。自分がモノを手放したのも、こだわりがないと思っていた過去が積もり積もってそうさせたのかもしれない。

 

 

「ミニマリストは忘れ物が多い?」という記事も書いたことがある。

 

 

忘れ物が多かったり、片づけが苦手だったり。多かれ少なかれADHDと関係があるひともいるだろう。自分も置いてあるモノや色から受ける影響が大きい人かもしれないと思う。

 

 

過去を清算するために、モノを手放す。

自分の能力に見合った量にするために、モノを手放す。

 

それが防衛反応のようなものだとしたら、誰からも責められるいわれはないと思う。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。