もう、からっぽ。
佐々木典士

ぼくたちは習慣で、できている。』では村上春樹さんの習慣について、たくさん言及させて頂きました。

村上さんの「自分を習慣の動物にしてしまうこと」という言葉は、「ぼく習」の全体を言い表している言葉だと思います。

 

ぼくは村上さんの習慣について興味がある人間で、小説のよい読者ではないのですが、毎日運動をし、決まった分量の原稿を書くということについて本当にいろいろに参考にさせて頂きました。そして書いた後のことまでも。村上さんは『1Q84』を書いた後のインタビューでこう答えています。

 

『1Q84』に続篇があるかどうかよく聞かれるんだけど、いまの段階では僕にもわかりません。というのも、三年間ずっとこの小説を書いてきて、いまはすっからかんの状態だから。本当にみごとにすっからかん。僕は長篇を書くときは、ほとんど毎日休みなく書く。ごくまれに一週間くらい旅行して、まったく書かないときがあるけれど、それを別にすれば、朝四時ぐらいに起きて机に向かって小説を書いて、ほかには一切なにも書きません。(中略)それを毎日毎日やっていると、かなりへとへとになります。体力も使います。それが三年近く続いたわけだから、自分の中にあるものを出しつくした状態になっていて、もう一度何かをためるにはそれなりの時間がかかります。今度その何かがたまったときに、自分が何をどういうふうに書きたいか、僕自身にもぜんぜん予測がつかないんです。

 

物語を広くしよう、奥行き深くしよう、入り組んだ構造にしようと思うと、目の前の穴にありとあらゆるものを放り込んでいかなくちゃならない。そうしないと物語を支えきれません。自分の中にあるさまざまな記憶や、体験したことや、興味を引かれたもの、読んだもの、見たもの、片端からそこに放り込んでいく。

 

さて、自分と村上さんを比べるわけにはいきませんが、ぼくも次回作のテーマを習慣にしようと思い立ってからの2年間、自分が目にし耳にした、ありとあらゆるできごとを「習慣センサー」で捉え原稿に反映してきました。

 

家族や友人のなにげない一言、スポーツ選手が活躍しているニュース、読んだ漫画や見た映画、あらゆるものに潜んだ「習慣」の匂いを嗅ぎ出しては、目の前の穴に次々と放り込んでいきました。校了の一週間前に友人からもらった本からも引用したり、本当にそれを最後まで続けていました。

 

だから、前作がそうであったように、「ぼくたちは習慣で、できている。」も単なる習慣のノウハウ本にはとどまっていないと思います。そこにはぼくの過ごした時間と価値観の変遷があります。

 

締め切り前は今まで感じたことがないぐらいに頭が回転し「この状態を続けていればいいとこまでいけるんじゃないか!?」と思っていたのですが、本の校了を終えてみるとからっぽになってしまいました。今は本当に、ただぼんやりとしか過ごせません。

 

それだけに、普通の本とは違ってめいいっぱい詰め込めたと思います。「ぼくモノ」は片づけの本の総まとめのつもりでした。「ぼく習」も習慣本の総まとめ+αのものになっていると思います。そのテーマについて知りたいなら、とりあえずはこの1冊でいい、そんな本にできたと自負しております。あと2,3日もすれば書店に並び始めるかと。どうぞご期待ください。


ぼくたちは習慣で、できている。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。