書評『茶の本』第四章茶室 「不完全」な空間    沼畑直樹

書評『茶の本』第四章茶室 「不完全」な空間    沼畑直樹

 

ミニマリズムに出会い、最初のころにKindleで『茶の本』をよく読んでいた。

以来、時々あの世界に触れたくなって、ページを開く。

私が特に好きなのは、第四章の『茶室』。

言葉一つひとつに勇気づけられるような思いがするから不思議だ。

岡倉天心がこの章で、未来の日本人を勇気づけようとしたわけではないけれども、今そうしてこの本を楽しむ人がいる。

たとえば、

「茶室は(数寄屋)は単なる小家で、それ以外のものをてらうものではない、いわゆる茅屋(ぼうおく)に過ぎない」

この「ぼうおく」という響き。

 

 

実際、私たちが住んでいるのは茶室でも茅屋でもないのだけども、茶室のようなミニマリズム性を家に求めたとき、茅屋なのだと思うと「枯れた」気持ちがふつふつと沸いてきて、気分が清々しくなる。これは、シンプルを極めようとするいくつかの立派な旅館や、田舎の庄屋など大きな建物でも感じることがある。

装飾を省いてシンプルな梁と壁と天井、床の空間になったとき、これは大げさにいうと茅屋なのだと。

この茅屋であることを思わせるためか、茶室に用いられている材料はあえて清貧を思わすようにできていて、「宮殿寺院を建てるに費やす以上の周到な注意をもって細工が施されている」。

また、茶室はひとつの仕切られた空間だが、私が普段の生活で求める、外の遮断空間(人工物との遮断、公園、山、海など)もある。

茶室に辿り着くために通る、露地だ。

あの苔むした石灯籠や常緑樹、松葉による世界観に関しては、こう記されている。

「露地は外界との関係を断って、茶室そのものにおいて美的趣味を充分に味わう助けとなるように、新しい感情を起こすためのものであった」

茶室にいたる露地が、「外界との関係を断つ」というものだということはそれとなく知ってはいたものの、「それが心地よいから」と今なら読める。そう考えてみたことは、ミニマリズムを知る前にはなかったことだ。

また、批判を承知で言えば、その価値は知る人と知らない人では大きく違い、互いに共感することがない。

私は高校生の頃にバイクで山に入りテントを張るようなことをしていたにも関わらず、「それが心地よいから」と気づくことはなく、その後20数年を過ごした。

だからキャンプをする人の気持ちが、まったくわからなかった。

車を乗る人の気持ちも、まったくわからなかった。ミニマリズムを知る前の数年間は、部屋に閉じこもりオンラインのサッカーゲームに夢中になっていた。

その間、私以外の多くの人が「外界との関係を断って」人生を楽しんでいたのだ。

「都市のまん中にいてもなお、あたかも文明の雑踏や塵を離れた森の中にいるような感がする。こういう静寂純潔の効果を生ぜしめた茶人の巧みは実に偉いものであった」

このような天心の文を読んで、駒場の前田邸、五反田の上小沢邸、中目黒の朝倉邸、京都の杉本家、俵屋旅館と次々頭に浮かぶ。

森の中にいたいなら森の別荘に行けばいい、と思うかもしれないが、都市の中だからこその感動もある。文明の雑踏や塵の中の、静寂純潔の場所。

 

清潔性とミニマリズム

部屋からモノをなくし、静かに佇んでいるときに、射し込む陽の光りが以前よりも美しく感じることは多い。

茶室も同様で、低いひさしが日光を和らげ、室内のすべてのものを落ち着いた色合いにし、すべての茶道具を美しく感じる。

何もない箱に、外からの光り。この美的感覚を生んだのは、清潔性を求める日本民族の習慣によるのかもしれない。

茶室は、「部屋の最もくらいすみにさえ塵一本も見られない」というが、これは掃除機のない時代の話。茶人の必要条件として天心は「掃き、ふき清め、洗うことに関する知識」としている。

茶室にて清潔は極まるが、天心によると、これは日本民族古来の清潔を求める風習で、彼らは掃除だけでは満足できなかった。

清潔性を保つため、人はそれぞれが独自の家を持つべきであり、家長が死ぬとその家自体を引き払うというものだと考えていたのだ。新婚の夫婦には新築の家という習慣もあったという。

家そのものを清潔にしてしまう。

取り壊しが簡単な古代の木造建築がそれを可能したが、やがて強固な木造建築がシナからやってきて、移動は不可能になった。だけども、15世紀に禅がひろまり、かつての家に対する清浄の考え方が茶室に置き換えられた。家をつくり、壊すというリズム。

だから茶室は、「家をば身を入れるただ仮りの宿」とし、「荒野にたてた仮りの小屋」「あたりにはえた草を結んだか弱い雨露しのぎ」となり、「この草の結びが解ける時はまたもとの野原に立ちかえる」とされたのだ。

そして、陽の光りはその清潔で簡素枯淡な仮りの宿に射し込んでくる。

「常注は、ただこの単純な四囲の事物の中に宿されていて風流の微光で物を美化する精神に存じている」

微光は必ずしも陽の光だけを言ったわけではないけれども、簡素な仮りの宿では、風に揺れる草花の影や優しい光が、部屋を美しくさせるのに必要だったのだ。

 

ミニマリズムを求める理由

天心は怒っている。

なぜ人々は洋式建築に屈したのか。

古くさい洋式の反復に満ちていると。

そして洋風は多くが、完全を目指している…。

「真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見出される」

と彼は言う。

この言葉をおそれながら解釈すると、私がミニマリズムに惹かれ、その空間性を求める理由探しに決着がつく。

それは、見た目や装飾によって完璧を求めるのではなく、不完全な空間である「空虚」に「自分の感性」を用いることで、「完全」への手続きをふむということではないか。

ミニマリズムの空間は、それを導く。

「美しいものの真の理解はただある中心点に注意を集中することによってのみできるのであるから」。

 

 

メディア情報  

http://minimalism.jp/media

2月13日スマステーション

Author Profile

沼畑 直樹
Numahata Naoki

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他
英語を母国語として学ぶ http://mothertongue.jp


メール info@tablemagazines.com
http://tablemagazines.com
インスタ  http://instagram.com/remyork/
twitter  @remyork
LINEで送る
Pocket