Less is future

習慣が終わる合図
佐々木典士

昨日、近所で評判のパン屋さんに行った。

どうみたって生地がふわふわのクリームパン。

ホイップクリームとあんこがこれでもかとサンドされたもの。

 

 

甘いものを断ちはじめてから数週間が経ったが、ついにそういうパンを見てもなんとも思わなくなった。お腹は減っていたが、過剰とも言える甘さの主張に、むしろ「うわぁ……」という気持ちにすらなった。

 

 

お酒のときもそうだったのだが、これは何かを断つことがほぼ完了した合図でもある。

冷えたビールの水滴や、シャンパングラスの泡立ちを見てもそれをきっかけに、飲みたいという欲望が発生することはない。

 

 

何かをやめた結果「ストイック」だという言葉を使われたりするが、これは大きな誤解である。本当は欲しいのに、我慢しているならそう呼べるだろう。当初はそういう時期もある。しかしもう少し経つと、単になんとも思わなくなる。

 

 

コカイン依存症の患者に、コカインを摂取している画像を0.033秒だけ見せるという実験がある。そのぐらいの短さだと、人の意識にのぼることはない。しかし、脳の報酬系は活性化されたという。

 

 

習慣になっている状態は、何かのきっかけがあると、欲求を感じて行いたくなるということ。コカイン摂取が習慣になると、そんな短い画像や、単なる白い粉を見ただけで反応してしまう。冷えたビールを見ると飲みたくてしょうがなくなったり、美味しそうな甘いパンを見ると、食べたくて気が気でなくなってしまうのも同じ。

 

 

コカイン依存がない人が小麦粉をちらっと見せられたって、当然興奮は起こらない。大抵の日本人にとってはそうだろう。その様子を見て「ストイック」だと言うのは的外れである。

 

 

ランニングシューズを見ると、ランニングしたいと思うようになれば、それが習慣になった合図。脳は、報酬があった行為を何度でも繰り返そうとする。そしてその脳の部分は、何が良い習慣で悪い習慣なのかまでは判別できないという。

 

ほとんどの行為は、依存症と大きく違わないとぼくは思っている。