レベル1になる練習
佐々木典士

毎日バイクの教習所に通っていて、楽しい毎日だ。
しかし、バイクの運転はすっごく下手だった。

一時期インプットの8割ぐらいが車ではないかというぐらいハマっていた。運転について学ぶということは物理の法則に詳しくなるということだ。その素養もできてきたので密かな自信もあった。それが思い切り打ち砕かれた。

一歩橋という30cmぐらいの幅の細い道を通る教習があるのだが、コツがわからず落ちまくる。スラロームも肩に力が入りまくってぎこちない。教習所に通っている人は若い人が多いのだが、その中でも子鹿プルプルでバイクに乗っているのがぼくだ。レベル1の最弱者。下手で、ダサくて、かっこ悪い。

思えば、こんなことばかりやっている。最近もサバイバル講座でロープの結び方を教えてもらったのだが、うまくできない。みんなで一斉に何かをやって、ついていけないあの感じ。年明け早々からフィリピンで英語留学もする。そこでもまたレベル1になり、きっとあたふたする。

ぼくは、本で書いたミニマリズムや習慣については詳しいので、そのことについてのレベルは積み上げていると言える。だからこそ、取材やイベントでもわざわざ話を聞きにきてくれる人がいる。やめてほしいが、先生なんて呼んでくれる人までいる。一方他のジャンルに挑戦すれば、目も当てられない弱者になる。

ぼくぐらいの年齢になっていると、仕事をしていても誰かから怒られたり叱られたりという経験は少なくなってくるだろう。会社で偉い立場だった人は、退職後もそのように振る舞ってしまいがちだと聞いたりもする。狭い世界の中でレベルをあげ続けていると、自分が弱者の立場でいることに耐え難くなる。

何か積み上げた気になっていても、ひとつジャンルを変えてしまえばドラクエの転職みたいにレベル1になる。何においてもそうだが人はその道に慣れてくると「なぜできないのかがわからない」という思考になりがちだ。ミニマリストなら「なんでモノが手放せないのかわからない」だろうか。だからときおり自分もただうろたえるしかない初心者の立場を実感してみる。

新たなジャンルに挑戦して良いのは、師匠が増えることだ。四輪の車に乗っていると、バイクは邪魔にうっとうしく感じたりするのだが(こういう心持ちを「四輪強者意識」というそうだ)今は道でバイクに乗っている人がすべて神々しく見える。(あの人はあの卒業試験をクリアしたんだよな。すごいスピードでカーブを曲がっていくな……)みんながそれぞれのジャンルで成熟しているのだから、誰もが師匠になる可能性がある。すると世の中に対する目線も変わる。

今バイクの運転がすごく下手だと感じている。こういう状況になると「自分は○○に向いていない、才能がない」という風に思ってしまう。

しかし「ぼくたちは習慣で、できている。」では

センス=習得のスピードのこと
才能=継続した結果、身につけたスキルや能力

と区別した。

自分はさまざまな場面で才能がないと感じるが、それは習得するスピードが遅いだけ。続けていればいつか才能にたどり着くことができる。自分はバイクには向いていないと感じるが、車の運転を始めたときも、まったく同じことを思ったのだった。今は、車は自信を持って運転している。

何かを始める時に、自分はセンスがなく、ダサくて、かっこ悪く、それには向いていないと思う。しかし経験が教えてくれる、それはいつものことなのだ。

今はこう思っている。
「自分はいつだってできない。だが、やがてできるようになるだろう」
そのことがわかれば、いつでもレベル1に戻り新たな挑戦を始めやすくなる。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。