習慣とニンテンドースイッチ
佐々木典士

子供の頃から宿題もせずにゲームして、友達が来ればゲームして、友達がいないときもゲームして、とにかく飽きずにゲームばっかりしていた。

徐々に遊ぶ頻度は落ちていったが、それをちゃんとやめられたのは、やはりテレビを手放してから。テレビを手放すと、当時持っていたPS3も使えなくなるのでテレビと一緒に引き取ってもらった。

ところがニンテンドースイッチである。テレビがなくても遊べてしまうし、コンパクト。ミニマリスト向けのゲーム機と言えるかもしれない。それでも発売以来買わずにいた。

しかし「大乱闘スマッシュブラザーズ」の新作がスイッチで出る。ぼくは甥と姪が計6人もいるので、年末はきっとスマブラ大会になるだろう。スマブラはやったことがないし、去年は「マリオカート8」でボロクソに負けたのでちょっと練習しておきたい。そんな気持ちでついにスイッチ本体を買ってしまった。

スマブラが出るまでは少し時間があったので「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」も買う。ゼルダの伝説は子どもの頃からハマりにハマったゲームシリーズで、今作はオープンワールドの中で自由に行動を選べる。

消えた2日間

ところが、このゲームを買ってから2日間連続で12時間もやってしまう。ニンテンドースイッチには親が子供のゲーム時間を知るためのアプリがあり、それでわかったのだ。当然だが1日12時間もやると、いつもの習慣はグズグズになる。時間の経過はあっという間で、2日間が消失した、という表現がしっくりくる。クリアまではゆっくりやると100時間以上かかったりするようで、これはいかんと慌ててソフトを売った。ゲームのレビューで「買ったら最後。実生活は諦めましょう」というものがあったが、まさにそんな感じ……。

面白いゲームはやめどきがわからない。
習慣に必要なのは「報酬」だが、面白いゲームはこの報酬が絶妙なタイミングで与えられるからだ。

「ブレスオブザワイルド」は最初ザコ敵相手に簡単に死ぬのだが、持っている武器や防具が強くなり、いつの間にかザコ敵を蹴散らしている自分を発見する。成長という「報酬」だ。敵を倒すと、必ずアイテムを落とすという「報酬」もある。未探検の地図を埋めるのも、矢で動いている獲物を狙うのも、ゲーム上とはいえ人間の本能的な喜びに近い。

現実はクソゲー

ゼルダシリーズは迷宮内の様々な謎を、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら解き明かしていく。その謎が巧妙のレベルで「自分が考えて解いた!」と思わせてくれる。謎が解けたとき、シリーズ伝統の音楽が鳴るのだが、それも報酬の合図だ。

こういった面白いゲームからすると、現実は本当にクソゲーだ。
・セーブしたところからロードすると、時間が空くほど主人公の能力が落ちている。
・なんのスキルを得るにしても、時間がかかりすぎ成長の実感が得られない。
・何かを苦労して達成したところで、必ず報酬が用意されているとは限らない。(ボス敵を倒したのに、経験値やアイテムが得られないことがゲームがあるだろうか)
などなど…

そして一昨日予約していた「スマブラ」が届く。対戦型のゲームだし「ブレスオブザワイルド」ほどは長時間するものではないと思っていた。1日の習慣を達成した後は、自由時間にしているし1〜2時間ぐらいゲームをしてもいい。

結果は……同じだった。1日で12時間以上もやってしまった。ゲームを進めれば進めるほど、使用できるキャラが増えるという「報酬」がある。能力を強化する「スピリッツ」と呼ばれる仕組みがあるのだが、トレーディングカードを集める楽しみのような「報酬」がある。本当によくできている……。

買って10日で手放す

これはいかんとこのソフトも、買って次の日に甥っ子にあげることにした。習慣を実践して学んでいるのは、ここで自分の意志が弱いからダメなんだと自分を責める必要はないということ。1日1時間までにしようとかルールを決めたりすることも効果的ではない。

「完全に断つ」方が遥かに簡単だ。本体がなければ、ゲームをすることはできない。だから買ったばかりのニンテンドースイッチを売った。差額は「ゲームにはやはり自分は抗えない」と再認識できた勉強代だ。

そしてようやく、いつもの日常が戻ってきた。やっぱりゲームは悪者なのだろうか? 最近学んだ哲学者スピノザの善悪観と絡めて次に書きたい。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。