床がまた茶色になった。
ここ数週間で妻がせっせと白いペンキをヘラで剥がし、3日ほどで焦げ茶を塗り上げた。
どこかのカフェのような白の世界はシャットダウンされ、再び淡い10ワットの電球が似合う焦げ茶の部屋になった。
白の世界は1年ともたなかった。
落ちた髪の毛が次から次へと発見され、椅子の脚によってどんどん剥がれた白い床。
雑巾で拭いても汚れは拡がるばかりで、やむなく佐々木さんが教えてくれたマキタのクリーナーで掃除をするようになった白い床。
茶色になって、また床を拭くようになった。
白い埃が見えて、拭くと消える。
やはり気持ちいい。
だけども、髪の毛やゴミが白に比べて隠れてしまうので、掃除機の爽快感は消えた。
それでもいい。マキタの「白色家電」CL107FDという奴は、昔所有していたロボット型やサイクロン型といった最新技術系のものよりはるかに気軽で使いやすい。デザインはブサイクなのに、よく働くので輝いてみえる。
最近は人に薦められたものを素直に買うので、ブラインドも佐々木さんが使っていたものにかえ、友人がバードウォッチング協会の長靴がいいと言うと、その日のうちに買いにいった。
全部いい。
自分でスペックを吟味したり、他の商品と比べたりしていないけれど、いい。
「比較しない」というのは、私の中で最近、薬のように効いている言葉。
「比較しないのはいいことだ」というのは誰しもがわかっていることだけども、実際に実行するのはたやすいことではない。
大人は比較をする。他人の芝を眺め、他人のモノや地位をうらやましがる。
だから、他人よりいいモノを探し、高スペックを求める。
水曜日、ある友人がストーブを買ったという話をしてくれた。
彼は非常に吟味好きで、スペック重視の人なんだけれども、今回は運命買いをしたそうだ。
暖め性能は弱く、メンテも必要なのだけど、それも含めて愛すという。
「一目惚れに理由はいらない」と満足そうだった。
おそらく彼は、アマゾンにかっこいい、かつ性能のいいストーブを見つけても、3年後なら見向きもしない。
手放す日はいつか来るけど、それまでは浮気をせず、しっかり愛すだろう。
「大切なことって、目では見えない」から。
「星の王子さま」のこの有名すぎる台詞は、私にとっては最近までよく知らない言葉だった。
知ったのは、たまたま「星の王子さま」の絵本を買ったからだ。絵本用に場面を切り取られたストーリーは難解で、「こんな話だったかな?」と疑問に思い、新訳を買って読んだ。
読んでみると、面白い展開やストーリーというのではなくて、謎かけや問いかけが中心の言葉たちで、哲学的な本だった。
砂漠に不時着した主人公と、別の惑星から来た王子様の会話が中心だ。
私が受け取ったメッセージは、
「自分が手をかけたものが、プライスレス」
目で見れば同じバラの花も、君が育てたバラは特別なんだ。というメッセージ。
「大切なことって、目では見えない」という台詞は、つまり、スペックではないということ。
目で比較するのではなく、出会ったストーリー(直感)を大切に、大事にモノや街、人と付き合うこと。
手がけた分だけ、大切になる。
自分と付き合うものに対して、それが運命だと悟らなければ、自分にとっての「本当にいいもの」にはならない。
作者のサン=テグジュペリは、どうしてドイツに占領されたフランスにいる友人にこの本を捧げたのか。
親友でユダヤ人のレオン・ヴェルトに。
サン=テグジュペリは、レオン・ヴェルトに対して、「俺たちは子どもの心でいよう」と語りかけたのだ。
想像力を大事に、表層だけを求めず、心で人や物事と接することができるのは、子どもたちだけ。
大人たちが失ってしまうもので、その延長に戦争とユダヤ人迫害がある。
彼ら二人は友情を育んだ、唯一無二の親友。それが何より大事なのだと。
大人になると友達ができにくくなる理由も、この本には隠されている。
私も、自分の心で見える大切な人や物を、大事にしていきたいと、焦げ茶色の砂漠の上で思うのだった。
ちなみに、この『星の王子さま』にはいろいろな訳があって、解釈もまちまちで、私は管啓次郎訳の本を読んだ。
絵はサン=テグジュペリが描いた原本のものが掲載されている。
定番は内藤濯訳のものだと思う。