2018年7月12日
20代後半に住んでいた代官山のマンションが無くなった。跡形も無く、ストリートビューにはショベルカーだけが映っていた。
思い出の詰まった建物がなくなるのは、なかなか寂しい。
ストリートビューはそんなことも伝えてくれる。
久しくその街には訪れていないが、ストリートビューでよく歩いた通りを見ていると懐かしくなってきた。マンション前の歩道が素敵で、そこに椅子を置いて涼みたいと何度思ったことか。
ただ、どうしてあの雰囲気が良かったのかと考えてみると、よく自分でわかってはいなかった。でもときどき、他のどこかで見た風景と似ているなと思うことが時々ある。何か懐かしい気持ちになるとき。
その場所、風景とはどこなのか?
よくよく考えてみると、前によく行っていた上海のフランス租界にどことなく似ているなと思った。
あの風景に、何か共通するものがあるはずだ。
そんなことをスカイプで相棒のハチくんに話していると、すぐにその上海の通りの写真を見つけてくれた。
ほどよい幅の片道一車線の道と、路面店が並ぶ風景。そして、街路樹。
これは確かに、私が住んでいた通りの前の風景に、やはり似ている。
何が似ているのかとよく見てみると、街路樹なのかもしれないと思った。街路樹せいで、道が少し涼しそうなのだ。
でも、それだけじゃない。
心が落ち着く、この感覚。
夕方の台北の、ある電気店のまわりの風景。
電灯がつくかつかないかの、薄明時の賑やかさ。
賑やかなのは、仕事終わりの人々が、寂しかった通りに戻ってくるからなのか。
パリのコーランクール通りの坂道。
カーブを描きながら、少しだけ坂になっている。
昼なのにマロニエの描く木陰で暗くて、店のネオンが輝いてたりする。
今はもうないが、九龍城の風景。写真集から伝わる、その賑やかさ。
1階がお店で、上階が住宅という、人が集う雰囲気が懐かしいのか。
パリのコーランクール通りも上階は住宅。パリは基本構造がそうなっている。だからなのか、近所の人たちが繰り広げる生き様は、映画のような風情がある。
と勝手に妄想を繰り広げる。なぜなら、私はこのコーランクール通りを歩いたことがない。ストリートビューが世の中に登場したころから、なぜかこの通りを見つけて、時々眺めていたのだ。
もし私がこの3階に住んでいたら、窓を開けると、夏にはマロニエの葉が目の前をさえぎるだろう。下を覗くと、涼しそうに歩く人々。
特に暑い日の夕方には、涼みに通りに出て、近所の人とくだらない話でもする。
素敵な人生を送る手助けをしてくれる街並みというのは、私の場合、1階がお店で、上階が住宅という作りらしい。
そして、並木が木陰を作ってくれるとなおいい。
ミニマルに考えるとそういうことになる。
代官山の1階と2階は確かにお店だった。隣のアパートの1階の店にはシャツを買いによく行っていた。
街路樹の背は高かった。
当時は気づかなかったけれど、もしかしたら土曜日の朝、妻と駅近くのカフェに行くまでの道のりを涼しくしてくれていたのかもしれない。