仕事と休みの関係
佐々木典士

最近、twitterで盛り上がっていたこちらの話題。

元の「仕事出来る」ネタはこちら。

 

ぼくは、自分が本当に好きなカルチャー誌で働いていたことがあるのだが、とにかくまぁ忙しい仕事だった。

そのときの、なかなかに凄惨な経験から「好きなことであっても、忙しすぎる仕事はその人を幸せにしない」と強く思うようになった。(幸せとは別の、意義や使命のようなものもあると思っているが、それはまた別の場所で)

 

 

今は習慣がテーマだ。習慣とは継続してすることである。継続するためには、必要な睡眠や休みを栄養を確保することが何より重要。

 

 

結局、結果を出すには淡々とでも継続することが重要で、いっときしか続けられない無理ぐらいでは結果は出ない。「仕事が出来る」人は何より自分の継続性を大事にしているとも言えると思う。

 

 

ぼくも上記のような考えから、睡眠時間、食事、運動などをまず自分の24時間から天引きして確保している。仕事は「もう嫌だ」と思うまでやらない、長時間働かない。その代わり毎日仕事をする。

 

 

フリーランスのメリットは「自分の時間を自由に決められる」ということだ。こういえば聞こえはいいが「自分の休みは、自分で決めなければならない」ということでもある。

 

 

会社員であれば土日などは「この日は休んでいいよ」というお墨付きを与えられているようなものかもしれない(日本はそのお墨付きが少ないことがそもそも問題だが)。

 

 

フリーランスでいると、曜日の感覚は薄くなっていき、祝日や連休もありがたいものではなくなってくる。ぼくの仕事は、自分がいちばん興味があることと一致している。ありがたいことだと思っている。しかし、それは仕事もプライベートの境目もなくなるということ。いつ休むかは自分で決めなくてはならない。

 

依頼された原稿を終え、取材もいくつかこなしたので、昨日は休みにしてお出かけした。

人の少ない平日にお出かけできるというのはフリーランスの大きなメリットだと思う。

 

 

紅葉を追いかけて、京都の端、笠置山&笠置寺へ。

 

以前、弥勒仏が彫られていたという大きな岩壁。奈良時代あたりに建立されたという歴史ある寺。

 

今は表面が崩れて残っていないが、こんな感じだったらしい。

大きな石が立ち並び、アトラクションみたいで楽しい。

山の頂上からは、木津川が見える。

ライトアップもされている「もみじ公園」。見頃に、なんとか間に合ったという感じ。

 

やはり、少々マイナーな場所であっても人が少ない場所が好きだなと再認識した。行く場所ではなく、自分が何を感じられるかが重要なのだから。

 

そして行ってみた後で「自分には休みが必要だったんだな」とわかった。リラックスできてとてもほっとしたし、目が冴えるような感覚もあった。編集者時代と比べれば、締め切りの切迫感もないし、労働時間も減らしている。それでも書くことを仕事にするなら、毎日勉強を続けなければいけない。そんな気持ちは常にある。

 

 

この休みが楽しめたのも、自分にとって歯ごたえのある仕事を終えたあとだったからというのもある。ぼくは以前行きたかったキャンプに「自分の仕事に手を付けられていない」という理由で断ったことがある。楽しむ資格なんかないし、行っても気もそぞろで楽しめないと思ってしまったのだった。なかなかにショックだった。

 

 

仕事を続けるためには、しっかり休まなければいけないということ。

しっかり仕事もこなしておかなければ、その休みも心から楽しめないということ。

 

やっぱりたまにはお出かけしなきゃな、と思わされた紅葉の終わりだった。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。