「好き」と「嫌い」の距離
佐々木典士

脳はまず「好き」か「嫌い」かを決めるという。

 

「なんとなく嫌い」だと判断されれば、

それから「嫌い」な理由を理性で探し始め、

適当な理由が見つかったところで、納得しほっとする。

 

 

たとえば書評を書くとして、まず決めているのは

「褒める」か「けなす」か。

大抵それを支える論理は後から考えて生み出される。

そもそも作者が「好き」か「嫌い」かも大きく左右するだろう。

 

人のことを「嫌い」だと思ったとき

自分が望んでいるものを実現していたり

自分にない部分を羨ましいと思っていたり、

自分の中に同じものがあることを認めたりしているのだが、

それは封をされてしまわれる。

 

 

おもしろいのは

・望んでいるものを実現している

・ない部分が羨ましい

・自分の中にも同じものがある

という「嫌い」の理由はそのまま「好き」の理由にもなりうるということ。

 

「好きの反対は無関心」という有名な言葉があるが、

このことを示していると思う。

 

「嫌いだけど見ちゃう」という人気ブログは、

この心理を巧みに利用していると思う。

 

人のことが「嫌い」だと思ったとき、

その理由を頭で探るのではなく、なぜ「嫌い」だと自分が思う必要があるのか。

なぜ「好き」と思ってしまっては自分に都合が悪いのか考えてみる。

 

 

これがいいのは、自分が嫌われたときにそこまで深刻にならずにすむということ。

自分が向けられているのは「好き」と大して変わらない気持ちだ。

 

 

「好き」と「嫌い」は違うクラスにいるのではなく、隣の席同士。

 

 

誰かを「好き」とか「嫌い」と思うことは、自分を知ること。

どちらにしても、自分が目指したい場所を教えてくれる。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。