月のチューニング
佐々木典士

池袋にあるオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」が大好きだが、

空が広い京都の田舎に来てから、かなりの頻度で月を眺めるようになった。

 

昨日は十六夜だと沼畑さんから教えてもらったので、双眼鏡で覗き込む。

 

 

目の前の庭に、小鳥が毎日来るのでそれをウォッチしようと双眼鏡を買ったのだった。

朝食を食べたりしながら、双眼鏡でハクセキレイが尾を振っているのを楽しんで見ていたりする。

 

 

小鳥のために買った倍率8倍の双眼鏡だが、ある日試しに月を見てみると想像以上に細かい部分まで見えることがわかった。クレーターや黒い部分(月の海)、表面のテクスチャーが肉眼とはぜんぜん違って見えて楽しい。三日月がどういう陰影のグラデーションでそう見えているのか、確認したりするのも楽しい。

 

 

昨日は薄曇りのなかに、本当にまん丸な月が浮かんでいて素晴らしかった。

 

 

双眼鏡で覗くと、遠いところで光っている物体ではなく、そこに確かに「違う星が存在する」という実感が増す。すると客観的な視点が生まれてくる。自分が今いる地球を意識しはじめる。こっちの側でもちゃんとやりますからね、という気になってくる。

 

 

以前友人が、理不尽な理由で上司に説教されている最中、怒られている上司のデスクから視点をすぅーと上にあげていき、街の視点にし、都道府県の視点にし、日本そして、地球を外から眺めているような感覚にするのだと言っていた。目の前のことを万事だと思いがちだが、そうすると「ものすごくちっぽけなことに思える」と言っていた。

 

 

月を眺めるのが好きだが、そうするといつもとは違う大きな視点になるから。

またすぐにささいなことが気になる日常の視点に戻ってしまう。

狂ってしまった視点は、月を眺めることで定期的にチューニングするのだ。

 


ぼくが使っている双眼鏡はこのNIKONのブラック。明るく軽く、コンパクトで簡単。金属の質感もとてもいい。

もっと手頃なペンタックスのこれも評判がよくて、迷った。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。