東村アキコ「かくかくしかじか」〜変換される言葉 〜
佐々木典士

最近は、絵を描くことにも興味を持っていて、美大の雰囲気なんかも知りたいな、と何気なく手にとってみた作品。

東村アキコさんが高校生から漫画家になるまでの自伝的なストーリー。

美大に入りたいと思った東村さんが、入試のためデッサンを学ぼうとする。

(美大に入るのは、在学中に漫画家になるという目的のため)

 

そのために通った故郷宮崎の、海に近い絵画教室。

その教室の先生、日高健三さんとの回想録がメイン。

 

テーマは自分で決められない

 

先生はいつもジャージ姿で竹刀を持っていて超スパルタ。女の子もヘタクソ! と容赦なくバシバシ叩かれる。「何を描く」かというのは生徒に決める権限はない。ちびっこが魚の骨を描かされていたり、近所のおじいちゃんは初心者向けのティッシュの箱を延々と描かされていたりする。

 

「基礎の基礎の立方体描けんと 何描いたってダメや」からだ。

 

他のものを描きたいと思ってもダメ。

「何回も何十回も同じの描くんじゃ

何も見んでも完璧に描けるようになるまで描くんじゃーーッ」

 

 

美大といえば浪人して入るのが当たり前。才能より何よりも積み重ねの物量が必要な世界。東村さんも最初は週5で、入試が間近になると毎日この教室に通うことになる。月謝は月5000円。それでどこまでも面倒を見る先生。

 

 

先生はというと、美大には行っていない。

絵を始めたのが29歳と遅く、油絵の作家さんに弟子入りして絵を学んだ。

 

「毎日朝から晩までデッサン描かされて 同じ石膏像ばかり何百枚も

全部の角度から描いて しまいにゃ真上から描いたり転がして描いたり

袋かぶせたり布巻いたりして でもそれ絶対ムダにならんから」

 

先生がひたすら「描く」ことにこだわるエピソードでもある。

 

 

入試に失敗したときは、高校生なのに先生(お酒飲めない)に居酒屋に連れて行かれる。

「飲め 今日だけ飲んで 明日からまた描くぞ」

 

 

描きたいものなんて、なくていい

 

しかし、東村さんは苦労して入った美大で描けなくなってしまう。

「真っ白なキャンバスに筆をのせた瞬間に 自分の中で小さな不安が生まれる

筆をすべらせるごとにその不安はどんどんどんどん大きくなって この色でいいの?

この線はこの位置でいいの? いやそもそもこのテーマでいいの? これってダサくない? 裸婦にこーゆーお花とか合わせるのダサくない? すると手が止まる。動かなくなる」

 

 

本を書いているときにも同じような感覚に陥る。自分が書いた文章があまりに稚拙で、先が思いやられて落ち込む。しかしそれを何度も手直ししていくしかない。

 

美大生でもたくさんの人が「描きたいものがない」という問題を抱えたりテーマに悩むという。しかし先生は言う。

「描きたいものなんてなくていいんや ただ描けばいいんや 目の前にあるものを

描きたいものなんか探しとるからダメになる 描けなくなる」

 

東村さんが何も描けなくなったとき、先生は自宅まで乗り込んでくる。

「自画像描け! 余計なことを考えんでいいから見たまんま描け」

 

自分も同じだ。頭に浮かんだまんまを、文字にして定着させよう。

 

努力が「ダサい」時代に

 

ときは90年代で、ファッションはストリート系が流行。音楽も脱力系やゆるいのがイケてる時代。

「やっぱり大学生の頃とか20代の頃とかって 流行っていうか時代の流れもあるとは思うんですが なんとなく「すげー努力したのってちょっとカッコ悪い」みたいのあるじゃないですか 世の中も「スポ根」とかダサいよ みたいなそういう時代だし」

 

しかし、絵を描くというのはそれとは正反対のような行為なのだ。

 

「絵を描くということは 木炭にまみれて 絵の具にまみれて ひたすら手を動かして お思い通りにいかなくて 紙の上でもがいてもがいて もがき続けているうちに偶然なのか必然なのか ごくたまに ほんの一本自分が納得いく線が見つかる瞬間がある その一本を少しずつ少しずつ つなげて重ねて ただひたすらそれの繰り返し」

 

実は漫画家を志していることを、先生にはなかなか言えないでいる。

初めて漫画が掲載されたときにようやく打ち明ける。入賞して賞金ももらったのだ。

 

「9万!? この落書きでか すごいな そりゃいいわ

いいぞいいぞどんどん描け これで毎月10万くらい稼げ!!

そしたらその金でいくらでも絵描けるぞ!!」

 

「こっちはこっちでやっていいから 空いた時間で絵描け

絵は毎日描かんとダメや 一日も休むな 描け」

 

先生はいつだってブレない。

 

描け 描け 描け

 

この漫画でも、ほぼ「描け」としか言っていなくて、それが強烈に残る。

「描け 描け 描け」

「描け」はそれぞれ読者の言葉で変換されるだろう。

「弾け」「走れ」「読め」「作れ」

 

ぼくには先生の言葉が

「書け 書け 書け」

と変換された。それ以外に人に教えられることなんてないのだ。

 

 

ヘタクソでも、出来損ないだとしても大きな問題ではない。

それではやめる理由にはならない。

とにかく毎日続けるのだ。

 


東村アキコ「かくかくしかじか」

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。