欠けているからつながれる
佐々木典士

いつもお世話になっている安曇野のシャロム・ヒュッテ&シャンティクティの臼井健二さんにお話を伺った。

臼井さんはよく「欠けているからつながれる」ということをおっしゃる。

 

 

シャロム・ヒュッテ&シャンティクティは、農的な営みと、なるべく必要なものは自分たちで作り調達する暮らしをされているが、それでも完全自給などは目標にされていないそうだ。

 

ぼくも、山奥で小屋をたて、畑を耕し、鶏を飼い、完全オフグリッドの自給自足生活をよく夢想する。お金を使わずとも、そこですべてがまかなえ、独立した暮らし。

 

だがそんな風に「自分ひとりでなんでもできる」ということは「誰も必要としない」ということでもある。

 

たまTSUKIの髙坂勝さんも「自分は英語ができないことによって、英語が得意な人の仕事を作っている」という話をよくされる。

 

誰も彼もデコボコしており、完全に丸い状態の人はいない。

欠けている部分があるから、できないことがあるから誰かの手助けを受けることができる。

誰かの凸した部分が、自分の凹んでいる部分を補うことで仕事が生まれる。

 

 

欠けているものがなければ、そもそも会話だって成立しない。

相手の言うことを全部知っていれば、話なんてする必要はないからだ。

知らないことを教えてもらう。欠けていることでコミュニケーションが発生する。

 

 

自分が欠けていると意識しすぎると、完全に球体に埋めてくれるようなぴったりの相手を見つけたくなる。しかしそんな相手はどこを探してもいない。

 

 

誰もがどこまでいっても欠けている。

だから、欠けていていい。

 

 

しかし、欠けていていいということは「そのままの君でいい」ということでは全然ないと思う。凹んでいる部分は埋めようがないかもしれない。埋めたとしても、今度は別の凹みが気になってくる。

 

 

「そのままでいい」なんて嘘で、そのままでは自分で自分に飽きてしまう。

誰かに凹みを埋めてもらうだけでなく、誰かの凹みを埋めてあげることに人は喜びを見いだす。

だから自分の凸した部分に磨きをかける。

これはできないけど、これは得意だよ、ということに取り組む。

 

 

たとえばぼくは家族を持たないかもしれない。けれどこの身軽さをもってしかできないことを、そうではない人に向けて還元したいといつも思う。そこに自分の仕事が生まれてくる。

 

 

欠けていることを恐れない。

欠けているからこそ、そこに引力が発生するのだから。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。