日記は詩、日記はともだち
佐々木典士

ブログを書いていると、日記はおろそかになったりする。

ブログを日記代わりにしている人だっているし、その人にとっては必要なさそうだ。

 

それでも自分は、やはり日記を書こうと思っている。

それは役割が違うから。

 

 

ブログを書くなら、一応読まれることを想定して、構成や文体を整えたりする。

わかりやすさを重視していない日記はもっと荒々しい。

 

 

いちおう日付をつけて書くのだが、時系列ではなく自分の「意識の流れ」のままでバラバラ。文章も単語だけだったり、途切れ途切れで完成させてなくてもよしとする。表現の重複も、漢字の変換が間違っていても気にせず、スピード感を重視する。

 

 

こうすると、日記というよりもだんだん詩のような感覚に近づいてくる。

 

 

人様にお見せするもんじゃないな、という負の感情もそのまま書く。思ったこと、感じたことを隠さずそのままに書く。ヘタクソな官能小説のようになることもある。自分の頭のなかに浮かんできたことを、ひたすら文字に置き換える。親しい友人にも言うのが憚られるような、整理される前のグチャグチャな状態。

 

 

しかし、これが書くことの不思議さで、書けば不穏な気持ちがおさまってきたりする。「誰かに話しただけですっきりする」というのはよくあることだと思うが、それと同じような効果があると思う。そうして、日記は大事なともだちだとも思うようになった。日記に肩を貸してもらう、すると少し楽になる。

 

 

こんな風に書くこと自体がすでに役に立っているのだが、日記は読み返すのが本当におもしろい。詩のような手がかりしかなくても、自分にはありありと思い出せる。かつての負の感情も、懐かしいできごととして客観的に眺められる。日記を通して、自分のデータを取っているという感覚もある。

 

 

人は世界のニュースよりも、自分の裏庭で起こっていることを重要視する。

その意味で自分仕様にカスタマイズされた、自分だけの物語がおもしろくないわけがない。

 

 

最後に日記を続けるためのコツを少々。

 

・ぼくはパソコンで書いている。基本的には、昨日のことを今日の朝書く。キーボードでダダダと打つので、なおさら荒々しくなっているのだと思う。アプリケーションは複雑にせず、何より立ち上げのスピードの速さを重視してMacの標準テキストエディタ。1年分の日記を1つのファイルにしている。

 

・Google日本語入力は優秀で、「きょう」と書けば変換に「2017/12/05」が出てくるし、「おととい」なら「2017/12/03」も出てくるのでそれを日付の入力に使う。

 

 

・日々のすべてを消化しようとしないこと。たとえば旅を日記につけると、一日あたり膨大な量になってしまう。「まだあの旅のことを日記で書いていないから」とブログのように考えていると、いつか止まってしまう。いちばん重要な単語だけでもいいから書いておく。そして、数日あいてしまったとしても最新の出来事を書く。

 

こうして、日記ももう来年で4年めになる。

 


 

表三郎『日記の魔力』

日記を始める上でとても参考になった本。いきなり素敵なエッセイを書こうとしてはいけない。まずは事実関係を書くこと。エッセイになるような素敵なできごとは毎日ないが、事実関係は毎日起こる。たとえば「グレープフルーツジュースを飲んだ」ということ。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。