エンプティ・スペース 014
コンクリの色はミニマリズム? 
沼畑直樹
Empty Space Naoki Numahata

2018年12月

 素敵コーヒーショップが都内で爆発的に増えてきても、牧歌的な郊外に引っ越してきた私には残念だけども無縁だ。

 今思えば、吉祥寺時代はコーヒースタンドが街中に溢れていて、出現しては消え、残るものは残りと、非情な商店街の移り変わりを眺めてきた。

 今は公園に囲まれてお店がまったくないような場所に住み始めたので、家でよくコーヒーを淹れて楽しまざるを得ない。

 1件だけ、自転車で行けばなんとかなる距離にあるコーヒースタンドは、民家を改装した黒壁の洒落た佇まいだ。

 この店のポイントは、コーヒーを待っている間に座るカウンターから、中庭が望めること。

 オーナー手作りのウッドフェンスで囲まれて、床はコンクリ仕上げ。これもオーナーが自ら施工したという。

 そこには植物、椅子、パラソルが揃っていて、寒い季節にそこを利用する人はいないけれど、眺めているだけで、すっとした気分になる。

 清々しい気分になる理由はたぶん、床が土ではなくて、「無機質」と形容されることが多い、「コンクリ」のせいだろうか。

 思い出せば、私が憧れた上小沢邸も建物自体がブロックとコンクリ、鉄筋で出来ていて、実に無機質。最新の素材で未来的にミニマルな今の住宅とは違い、古びて汚れて、決して普通に美しいわけではないのに、心を惹かれる灰色の建物。

 最近、よくこの建物に出会ったときの感触を思い出していて、それが掲載された古本を注文してしまった。

 都内の高級住宅街に建つこの家は、建築家広瀬健二に惚れ込んだ上小沢夫妻が依頼して1959年に作られたもの。普通ならアパートも建ちそうな敷地の広さに、小さい平屋が佇んでいるので少し異質だ。建築家広瀬氏は当時、軽量鉄筋コンクリートによるSHと呼ばれるミニマルデザインの住宅を追究していたという。

 上小沢邸においては壁のほとんどが夫妻のアイディアによってブロックになったが、塗装がされていない。縁側部分も灰色が剥き出しで、年月を経たシミもあるのだが、それがミニマルを感じさせるのかもしれない。塗装もしない、剥き出しというシンプルさがあるからだ。

 おそらく、今の時代に家を建てようとする建て主も建築家も、壁をこのようにすることはまずない。雨で汚れが落ちるような最新のサイディングと呼ばれる壁材を使うか、左官の手によって壁が丁寧に仕上げられるからだ。それだけに、際立つ佇まい。

 そういえば、今の私の家には庭がないけれど、コンクリの駐車スペースがあり、雰囲気は似てなくもない。いや、上小沢邸と似ていると言っているわけではなく、コーヒースタンドの駐車場と似ているかもしれないということだ。コンクリートのスペースなんて、誰も羨ましくないし、オーナーもそこについて考えることはあまりない。殺風景だから、たいていの人は少し小さな芝生スペースを作りたくなる。

 だけども、ミニマリズムの佇まいを考えると、少し素敵に見えてくる。

 最近、人から頂いた洒落た菓子の箱も、コーヒー豆の袋も灰色。

 デザインが実にミニマルで、何か心地いい。

 暖かく、有機的で色があって…もしくは緑が溢れていてというのは正しい美しさだが、コンクリ、灰色という色には、何かミニマルで「冷たい」香りがする。

 冷たさを心地よく感じるかどうかは、その人次第だ。

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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