ぼくは人の話を聞くのが好きで、これは自分でも好きなところだ。
今日の日本橋BOOKCONでも10人ぐらいの方とひとりひとりたっぷりお話を聞いて楽しかった。「茶室」と称していた不動前時代のミニマリストモデルハウスでも、初対面の人を家に招き数時間ずつ話していたのだが、その感覚を思い出した。
編集者時代に、インタビューをして原稿を書くことも多かったので、
人に話を聞くのに慣れているということはある。
しかし、編集者でも聞くより話をするのが好きなひとは多い。
ぼくは話を聞くほうが圧倒的に好きだ。
理由を簡単に言えば、
自分が話す内容について、自分はすでに知っているからだ。
誰かに話をすることで、より自分についてわかってくるということはある。
うまいインビュアーの手にかかると、自分の考えていることが、よりはっきりしてきたりする。
しかし、それでも自分がまったく見知らぬ内容ではない。
ぼくが話を聞くことが好きなのは、自分の全然知らないことがわかるからだ。
一度きりしかない人生は、就けない職業だらけであり、住むことのできない場所だらけ。
その仕事がどんなものでどんな難しさを抱えているのか、その土地に生まれ落ちるとどんな感覚なのか、その趣味を実践するとどんな楽しさがあるのか、とにかくその人が見ている景色を知りたい、自分の視点に追加したい。
「話を聞く」といえば、相手に寄り添う意味もあるが、実際には自分の好奇心が上回っていて、単に欲張りな面が強い。
今日はポエトリー・リーディングの様子を伺い、私鉄の駅員とコールセンターの仕事を想像し、スケートカルチャーと恋の始まりと、31年間の結婚生活について思いを馳せた。
糸井重里さんには「経験を盗め」というシリーズの本があって未読なくせに、そのタイトルの意味するところだけはいつも心にある。ぼくに特殊能力が備わるとしたら、間違いなく「HUNTER×HUNTER」のクロロのような、盗んで使う能力だと思っている。
ぼくが聞くほうが好きなのは、話す声にも、話す技術にも自信がないのもある。
そこに自信があれば、もっと話すほうに寄っていたかもしれない。
でも聞ける人は少ないので、助かっていたりもする。
あたりまえだが、聞いたことは実際に体験することとは全然違う。
だけど、みんなもっと盗むつもりでいろいろ聞いたらいいのに、いいの?
じゃあもらっちゃうよ。と思うこともままある。